著者:吉成 英紀
著者の吉成さんは、不良債権査定の専門家。その査定を通して、多くのリスク管理の失敗事例を見てこられたことなのでしょう。それを通した知見・・・表紙にもありますが「攻撃に転じるため、誤解だらけのリスク管理を正し、『投資する勇気』を呼び起こす」というのがこの本の核として、読み進めていきたいと思います。(Inobe.Shion) |
内容紹介 ●すべてのビジネスはリターンを得るためにリスクに挑みます。そのためリスク管理と目標管理は表裏一体で、リスクの管理は利益を生む活動です。リスク管理能力を養うことで、はじめてハイリターンを追求できます。 ●しかし、多くの人はリスク管理を専門家の仕事と勘違いしています。マニュアル(文書化)を作ることがリスク管理ではありません。業績不振と不祥事は、リスク管理の面から見れば同根です。 ●本書は、リスクの本質と正しいリスク管理を学ぶテキストです。知識を覚えるだけでなく、考え抜くための演習問題も提供し、イノベーションを起こす力を養います。 ●前作『世界のエリートがやっている 会計の新しい教科書』の第3章「応用編」に続く内容で、前作読者から出版が待たれていました。セットで会計と経営のセンスを磨くまったく新しい会計学習法です。 【構成】 著者について |
「はじめに」で書かれていますが、実体験をもって学んできたということが強く書かれています。
1980年代終盤、主に米国で行われてきたリスク管理の議論がもたらしてくれた知見は有用で示唆に富むものですが、それを知識のまま頭に入れてマネをしてみても、自ら考え抜いて苦しむことをしなければ、現実の企業のリスク管理の実力は少しも向上しない。それは確信しています。いま日本企業の経営者、管理者を中心に、リスク管理について考えることに(良い意味で)苦しんでいるかどうか、問い直すべきと思っています。(p.5) |
不祥事を起こしてからではなく、起こす前に苦しむのがリスク管理であります。リスクに挑んでリターンを追求する以上、どこかで苦しむ必要があります。これを事件事故が起きる前にやってほしいと思います。そうすればきっとはるかに小さな苦しみで済むはずです。(p.5) |
リスク管理は目標管理と基本的に表裏一体です。その意味でリスク管理は利益を生む営みでもあります。リスク管理能力を高めることで、ハイリスクを自らの努力でローリスクに転じ、ハイリターンを得る。それが企業におけるリスク管理の目的です。ビジネスにおいて、リターンは常にリスクの背後にしか存在しません。(p.6) |
当たり前ですが、リスクに対する耐性がしっかりしていれば、ハイリスクもハイリスクではなくなる。そのためにリスク耐性としっかり作っていくということは、「緊急ではないが、重要なこと」の最たるものでしょう。
リスク管理の考え方では、その人物、つまり彼、彼女にその仕事ができるかどうか、仕事が務まるかどうか判断するというのは、次の3つの要素が備わっている必要があると考えます。どれが一つ欠けていれば、その人には「できない」ということなんです。
一つ目はリスク管理の意思です。つまり、 二つ目が「能力、スキル」です。 三つ目は「時間」です。意思があって能力があっても他の仕事でもうパンパン等、管理者のモニターと采配が必要な部分です。(pp.29-30) |
確かに、マネージメントするうえでは、2、3は当然ですが、逆に1については当たり前感があって、しっかりと確認できていないことが過去の自分のマネジメント体験からしても多かったかもしれません。この3つについて、部下の指導という面でも、仕事を依頼するときに、リスク管理の意思を確認することを今後は考えていきたいと思います。
正しい情報を守るための3つのキーワードが次に紹介されています。
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それぞれについてのエッセンスを引用しておきます。
まずは、プリンシプル。
勤勉であり道徳心が高くて優秀であり、日本的経営の強みがあって成功してきた。ある意味では米国から見ればアンフェアだと言われるぐらいに成功した。だからバブルが崩壊したときにそこを叩かれた。持ち合い株であったり終身雇用であったり年功序列であったりサービス残業であったり、さまざまな日本的経営の強みとされるものは一気に奪われたわけです。・・・昔は自由と責任のプリンシプルというものをきちっと本当に理解する必要がなかった。それに代わるものがあったからです。しかし今はそれがない。だから過去から今に至るも自由と責任の原則というのは、もともと本当には日本企業に十分に浸透していなかったのではないかということが言いたいんです。であれば、いまこそ欧米企業と同じプリンシプルという考え方を啓蒙し、認識させる必要がある。(pp.56-57) |
同じことがアカデミアでも起こっています。ちょうど去年からですが、「研究公正」という科目が必須になりました。
「研究公正(けんきゅうこうせい、英: Research integrity)とは、研究者が研究活動を行なう際に守るべき倫理・規範の基本概念の1つである。 研究は信頼という土台の上に構築されている。」 |
「働き方改革」なんてのも対処療法であって、日本企業が強くなるうえでの本質ではないと思えて仕方がありません。
さて、次はアカウンタビリティーです。
同じ意味を表す英語でレスポンシビリティーというのがあります。・・・レスポンシリビレィーというのは具体的な指示があって、指示通りにやる責任がレスポンシビリティーです。アカウンタビリティーというのは指示を受けたからじゃなくて、任せるという行為があったとき、任された側が、言われなくても当然に結果がこうなったという報告をする責任です。これは自然発生的、自発的、能動的な責任であります。この自発的、能動的、自然発生的というのがポイントでして、何かを任された時というのは、報告に関する指示は本来不要であるということです。自分からベストの方法を考えて報告する。これを徹底する必要があります。(p.58) |
レスポンシビリティーとのこの対比はすごくわかりやすいです。この違いをもって説明されると非常によくわかります
最後にインテグリティーです。
インテグリティーとはプリンシプルに基づく言動行動が首尾一貫していること。その首尾一貫している原理原則が高潔であること。(pp.62-63) |
高潔というのは、「正しいことを言う」「正しい行動をする」ということになります。
最後に社員のあるべき姿として次のようにまとめられています。(p.64)
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社員全員がインテグリティーを持つところまで育成する必要があります。
このような3つの軸については、まずは管理者がしっかりと意識して、そしてそれを後進に引き継いでいかなければなりません。この意識づけというのを改めて、しっかりとやっていかないといけませんね。
最後に、「数字で見る日本企業の50年」というのがあるのですが、ここは驚きとともに改めて何か本質を見失ったまま迷走している企業の状況が伺える気がします。
ただ、個々の企業の病巣は種々雑多で決まった処方箋はないところが難しいところです。自分で治していかないと誰も直してくれませんからね。