著者:やましたひでこ, 永田良一 …
私自身、中学・高校と真言宗系の学校に行まして、授業でも般若心経などを学びました。当時は当然分かることはありませんでしたが、今になった改めて勉強したいと思いました。モノだけでなく、心自体を断捨離して常に新しい何かが入ってこられる状態を作っておかないといけないなぁと思いました。残念ながら物のほうの断捨離は全くできない人間なんですが。(Inobe.Shion) |
内容紹介
「断捨離」のやましたひでこが、空海との出会いと断捨離の奥義を語る。 断捨離は単なる片づけにあらず 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 推薦! ~断捨離からの提言~ ~空海的生き方からの提言~ 空海は断捨離したのか? 断捨離が持つ深い意味、それとつながる空海の思想。 断捨離の本当の意味と難しく思われがちな空海の思想を現代人の生活に沿って解説。 |
マントラ 真言 マンダラ 曼荼羅 タントラ 儀式実習 人は、それぞれに自分自身の真言を持たなくてならない。断捨離とは、やましたひでこの真言<マントラ>であり、断捨離によってクリエイトされる住空間は、やましたひでこの刹那的な立体の曼荼羅<マンダラ>であり、断捨離の実践こそ、大いなる存在への帰依となる儀式実習<タントラ>であると。(pp.62-63) |
自分自身の真言・・・そしてその実現のために時間的・空間的に捉えられると伊目地もリアルになってよりその真言の可視化に近いものができることでしょう。まさに何のために生きているかという生き様にもつながってくる気がします。私自身も私の真言を見出せるように常にアンテナを張っておかないといけないと改めて思いました。
大学寮に入学した空海は、それはそれは必死に勉強したといいます。のちに自著には、「『蛍の光、窓の雪』で勉強した、あるいは『首に縄を掛けたり、錐で自分の太ももを刺して』眠気を覚ましたりしながら勉強したという故事があるが、そういう人すら怠けものに見えるほど自分は努力して勉強した」(三教指帰)と書いています。文字通り、寝る間も惜しんで勉強したのでしょう。空海がそれほどまでに必至で勉強したのは、もちろん生来の勉学への向上心があったからですが、それとともに世の中の真理、人生の真理をつかみたいと強く思っていたからだったようです。(pp.83-84) |
自著によると、仏門修行を始めた頃に、ある沙門(もともとは古代インドでバラモン階級以外の出家者を指す言葉で、のちに僧侶一般をさす言葉となった)から、「虚空蔵求聞持法」という修法を教わったといいます。この「虚空蔵求聞持法」の真言(のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきやまりぼりそわか)を毎日1万回、百日間、合計百万遍唱えれば、仏教の経典を覚えられるような記憶力が備わると言われて、四国の土州室戸岬(高知県室戸市最御崎)でこれを実践し、神秘体験を得ました。このことを空海は「心に観ずるに、明星口に入り」、現代訳としては、「真言を一生懸命に唱えていたら、明るい星が口の中に飛び込んできた」(御遺告)、「明星来影す」(三教指帰)と記しています。(pp.86-87) |
空海は830年、『十住心論』という書を著しました。空海は、人の心はいつも変化していて、その変化をより良いものにするように十住心論を解いています。この十住心論では、人間の心を「十住心」という十の発達段階に分けて、それぞれについて述べています。・・・まず、十住心は、大きく二つに分けることができます。「一般大衆の住心」と「仏教に根差した住心」です。一般大衆の住心は、世間の三住心と呼ばれ、最初の第一から第三段階に該当し、仏教以前の日常的な人の生活における心の階梯を示すものです。仏教に根差した住心は、大きく小乗仏教と大乗仏教の2つの階梯を持つ住心となります。すなわち、小乗仏教の住心は第四、第五段階に該当し、大乗仏教の住心は第六段階から第十段階の五つの段階となります。(pp.101-102) |
以下、こちらの本をベースにまとめてくださっているので、それを引用いたします。(pp.102-113)
[amazonjs asin=”4845409224″ locale=”JP” title=”弘法大師空海「新十住心論」 心を磨く 心を満たす (ロング新書)”]
|
第二住心のところに、冒頭に書きましたが中高の時代に読んで覚えたお経の一説にもある十善戒がでてきました。こちら共有しておきましょう。
空海は、五戒(仁・義・礼・智・信)、十善戒(不殺生、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)を守ることの重要性を教え、愚かな少年の心も、適切な導く者があれば自らを慎み、他に施す心が起き、倫理道徳の道を行おうとする心の状態を説明しています。(p.103) |
ちょうどWikipediaに詳しく書かれていたので、こちらを引用しておきます。
十善戒 『十地経』(『華厳経』十地品)第二「菩薩住離垢地」で勧められる、菩薩としてなすべき十の良いことをすることの戒め。 身業 口業 意業 |
これを実践は非常に大切なのですが、すべてが「不」という否定なので、少し窮屈な気がします。ただなかなかどれも「正」に置き換えにくいのでしょうけれども。
「二而不二(ににふに)」という言葉をご存知ですか。これは、仏教の言葉として知られています。この世には自分も他人もそれぞれ独立して存在しているが、人類という視点、生まれる前の世界も死に逝く世界もお互いに共有していると考えると、自他の区別はもともとなく、実は他人も本質的な違いはないという考え方ができるという意味です。(p.184) |
ひさしぶりの仏教の思想に触れて心が洗われました。本当に世知辛い世の中になってきて、自分自身を見失うことも多い状況です。善悪を判断する間違っていない軸を見つけたいものです。