著者:マイケル ・ルイス…
ちょうどアスレチックスを低予算で優勝させたセイバーメトリクスのビリー・ビーンの話が別の本で出てきていたのですが、不思議な引き寄せで彼が主役の『マネー・ボール』の作者マイケル・ルイスの新作を読む機会を得ました。ただ、こちらはビリー・ビーンについてはあまり出てこず、セイバーメトリクスの元の考え方自体が行動経済学につながるという観点で行動経済学に関する著作といえる作品です。 |
かくて行動経済学は生まれり
著者:マイケル ・ルイス
メディア掲載レビューほか なぜ人は判断ミスをするのか 経済学に心理学を適用したときに生まれたもの著者は、先入観と勘、直観が全てだった野球界に初めて客観的なデータ分析を持ち込んで、弱小チームを常勝チームに変えたオークランド・アスレチックスのジェネラル・マネージャーの活躍を描いた『マネー・ボール』を書いたことで知られている。出版後、著者は経済学者と法学者から著者が取り上げたテーマは既に証明されているという指摘を受け、「わたしの本はそれまで誰も気づかなかったことを明らかにしたわけではなかった」ことを知る。それを契機に著者は二人のユダヤ人学者の存在を知ることになる。ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーである。二人は心理学の学者で、「判断ミスをする人間の頭の中で何が起こっているのか」と疑問を抱き、新しい理論を構築しようとした。伝統的な経済学が「合理的な人間」が「期待効用」を最大化する行動を取ると想定していることに疑問を呈し、「人が意思決定を行うときは効用を最大にするのではなく、後悔を最小にするものだ」と批判を展開。「経済モデルに心理学的洞察がないことに幻滅していた」二人は、心理学を経済学に適用する。それが「行動経済学」だ。行動経済学は今や経済学の中で地位を確保し、現実の経済・社会政策の決定に活用されるようになっている。ただ、本書は行動経済学の解説書ではない。本書の原著の副題「私たちの心を変えた友情」が示すように、二人の学者がどのように新しい理論を構築したのかだけでなく、二人の関係に焦点を当てたヒューマン・ドキュメントである。 二人は常に議論しながら、理論を構築していった。二人の関係は緊密で「二人だけの秘密クラブ」のようであった。「どちらかがアイデアを思いつくと、すぐさまもう一方に伝えた。そうすると不思議なことが起こる。二人の頭脳が一つになる」のである。 やがて二人が共同で行った研究はトヴェルスキー一人の業績のように扱われるようになる。カーネマンはトヴェルスキーの影の存在となり、「二人の間の格差」が露わになる。やがてカーネマンはトヴェルスキーを捨てる。そう決意した三日後にカーネマンはトヴェスキーがガンに侵され、余命六カ月だと知らされる。トヴェルスキーはカーネマンに「僕らは友達だ」と伝えた。 トヴェルスキーは一九九六年に死去。それから六年後の二〇〇二年にカーネマンはノーベル経済学賞を受賞する。著者は、最後にカーネマンはトヴェルスキーへの思いを胸にストックホルムへと向かったのだろうかと、優しく問いかける。 評者:中岡 望 (週刊文春 2017.08.10号掲載) 内容紹介 刊行後、同書には数多くの反響が寄せられたが、 「専門家の判断がなぜ彼らの頭の中で歪められてしまうのか。 この指摘に衝撃を受けたマイケル・ルイスは、 〈目次〉 ■序 章 見落としていた物語 ■第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか? ■第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない ■第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する ■第4章 無意識の世界を可視化する ■第5章 直感は間違える ■第6章 脳は記憶にだまされる ■第7章 人はストーリーを求める ■第8章 まず医療の現場が注目した ■第9章 そして経済学も ■第10章 説明のしかたで選択は変わる ■第11章 終わりの始まり ■第12章 最後の共同研究 ■終 章 そして行動経済学は生まれた ■解 説 「ポスト真実」のキメラ 月刊誌『FACTA』主筆 阿部重夫 |
手前の内容紹介にすっかり書かれているので、以下読んでもらうところは少ないと思いますが、気になってところを備忘録、再学習用として引用していきます。
高性能の計算機をかつてないほど安く入手できるようになり、データ分析の存在が知られるようになった。・・・それまでの社会通念が全く通用しない、混乱した業界で財を成した人物は、ほんのわずかでも情報戦で優位に立つことの価値をよく分かっていて、その優位を勝ち取るためにデータを使う、という考えをすんなりと受け入れる。しかしそこでもっと大きな問題が持ち上がる。なぜこれほど多くの知識が役に立たなくなっているのだろうか?それはスポーツ界だけでなく、社会全体について言える。なぜこれほど多くの業界が無秩序の近い状態に陥っているのだろうか?なぜ一からやり直さなければならないことが、これほどたくさんあるのだろうか?(pp.50-51) |
意思決定を行うとき、人は類似性についても判断していて、現実世界にあるその対象と、頭の中の理想像を比較している。そしてそのような判断は、目につく特徴を数え上げることで行われる。そうした特徴の目につきやすさは、強調のしかたを変えることで操作できる。そのため、二つのものがどのくらい似ているかという感覚は操作が可能だ。・・・二つのものを比較する状況を変えるとき、人はある特徴を沈めて、別の特徴を無理にでも表面に上がらせる。・・・「類似性には二つの面がある。分類の由来となるものと、分類によって生じるものだ。それは対象を分類するときの基本であると同時に、任意で決めた分類法の影響も受ける」(pp.126-127) |
不幸な人は違うことをしていたら幸せになったかもしれないと想像するが、幸せな人は不幸な状況を想像して思い悩んだりしない。人は後悔を避けようとするのと同じだけのエネルギーを、他の感情を避けるために使おうとしない。人が意思決定を行うときは効用を最大にするのではなく、後悔を最小にしようとするのだ。(p.297) |
人が万が一の可能性をすべて、いまにも起こりそうなことのように扱う。不果実なことを目の前にして、人が実際にどんな行動をするか予測する理論を組み立てるには、人が実際に行っているように、可能性に感情という“重みを加える”必要があった。そうすると人が保険に入り、宝くじを買う理由を説明できるだけではなく、アレのパラドクスも説明できるのだ。(p.310) |
最後に、また「マネーボール」がらみの話になってくるのかと思いきや、最後まで、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーの話でした。
個人的には、やはり「マネーボール」と繋がって欲しかったんですけどね。