日本再興戦略

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

著者:落合 陽一 … 

落合さんは、ご存知かもしれませんが、ジャーナリストの落合信彦さんのご子息です。非常に刺激的な一冊です。(Inobe.Shion)

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内容紹介

「情熱大陸」出演で大反響! 落合陽一の最新作!

【本書概要】
AI、ブロックチェーンなどテクノロジーの進化、少子高齢化、人口減少などにより、世界と日本が大きく変わりつつある。
今後、世界の中で日本が再興するにはどんな戦略が必要なのか。
テクノロジー、政治、経済、外交、教育、リーダーなどの切り口から日本と日本人のグランドデザインを描く。

「日本再興戦略」とは、改革や革命ではなく、アップデートです。
必要なことは、「過去において日本は何が機能したのか、何が時代と合わなくなったのか」を検証すること。
本書がポジションを取って未来を作る皆さんの一助となることを祈っています。
(著者より)

日本再興戦略 目次

第1章 欧米とは何か
「欧米」というユートピア/「西洋的な個人」の時代不適合性/「わかりやすさ」の対極にある東洋思想 /日本というブロックチェーン的な国家/平成という破壊の時代を超えて
第2章 日本とは何か
日本の統治構造を考える/イノベーティブな日本の宗教/日本にはカーストが向いている /百姓という「多動力」/中流マスメディアの罪日本は超拝金主義/日本を蝕むトレンディードラマ的世界観/「ものづくり」へのリスペクトを回復せよ
第3章 テクノロジーは世界をどう変えるか99
コンビニに行かなくなる日/「人工知能と呼ばれているもの」の本質/最適化・統計・創発/東洋のイメージをブランディングする/人と機械が融合する自然/テクノロジー恐怖症との折り合い
第4章 日本再興のグランドデザイン
人口減少・高齢化がチャンスである3つの理由/ゲートのない世界へ/ブロックチェーンと日本再興/日本はトークンエコノミー先進国/地方自治体によるICOの可能性/シリコンバレーによる搾取の終わり /ビットコインの未来を占う「3つの問い」
第5章 政治(国防・外交・民主主義・リーダー)
日本だからこそ持てる機械化自衛軍/インド・中国・北朝鮮/揺らぐ民主主義
第6章 教育
新しい日本で必要な2つの能力/幼稚園には行かなくてもいい/センター試験をやめよ /MBA よりもアート
第7章 会社・仕事・コミュニティ221
「ワークアズライフ」の時代/兼業解禁と解雇緩和をセットにせよ/士農工商を復活させよ/「ホワイトカラーおじさん」の生かし方/年功序列との決別/「近代的人間」からの卒業/「自分探し」より「自分ができること」から始める/モチベーション格差の時代

内容(「BOOK」データベースより)

今、世界でもっとも注目される日本人科学者が描く希望の国のグランドデザイン。

「更新」という言葉が冒頭に出てきます。

日本が自信を取り戻すためにまず大事なことは、「過去において日本は根本的に何がすごかったのか、何がすごくなかったのか」について我々の常識を更新しながら考えることです。(p.11)

何気なくさらっと書かれていますが、「更新」という言葉にある意味、衝撃を受けました。

シソーラスで見てみると、次のように書かれています。

意義素 類語
最新の状態にする 最新のものにする
新しくするまたは新しいかのように、または新しいまたは通常改善された基礎のもとに再生する 刷新 ・ 更始 ・ 更生 ・ 再生 ・ 一新 ・ 更改
一新する行為 改 ・ 改め ・ 刷新 ・ リニューアル ・ 一新 ・ 更改
消耗されたものを補充することで再び充填すること 付け替え ・ 置き換え ・ 代り ・ 代わり ・ 補充 ・ 交替

というような感じで書かれています。

何が衝撃かというと、今の日本って「改革」とか、よく会社の計画でも「修正」と言いますが、どちらの言葉も時系列な感覚がなく、過去をなかったものにしようとしているように感じていたのでしょう。今まで違和感を感じていたのが、そこだったのかということに気づいた衝撃でした。

吉田松陰が残した「狂え」というメッセージは、当時の時代の変化が今の我々の対面している計算機時代と同様、並大抵のものではなかったことを示しているようです。(p.13)

「狂え」というのは、吉田松陰の遺書とされている留魂録という書物に出てくる一文「諸君、狂いたまえ」のようです。

今、「日本を何とかしないといけない」という思いを多くの人が持っているはずです。そのために何をすべきか、という解決策も見えてきています。でも、それだけでは日本は変わりません。日本を再考するため、世界を理解するために重要なのは「意識改革」です。集団に対する処方箋としての教育とテクノロジー、それを通貫するビジョンが必要なのです。(p.14)
教育・研究・経営・アートのすべてに影響を与えるのがテクノロジーです。AI、AR、VR、5G、ブロックチェーンなどのテクノロジーは、これから世界を大きく変えていきます。これらのテクノロジーの本質を理解していないと、日本再興戦略を描くことはできません。(pp.17-18)

落合陽一としての「3つの再考戦略」として次のことが挙げられています。(pp.20-22)

これからの日本再興のために大切なのは、各分野の戦略をひとつずつ変えるのではなく、全体でパッケージとして変えていくことです。そのために、僕は個人として今、この国の社会に、そして世界に貢献するために、3つの戦略を持っています。
①経営者として社会に対してより良い企業経営をすること
②メディアアーティストとしての活動
③大学での活動

戦略というよりは、活動のベクトルで、これらのベクトル集合こそが大きな戦略ということなのでしょう。

僕の座右の銘は、「変わり続けることを変えず、作り続けることをやめない」ですが、最近気に入っているフレーズがあります。「指数関数的に成長にとって、全ての点は、いつでも始まったばかりだ」というフレーズです。(p.22)

この言葉は私も気に入りました。確かに指数関数的だったらいつでも追いつける、その指数関数を描いていく軸としての戦略、そしてビジョンを持つ必要があるのでしょう。

結局、日本人は、外来的に入ってきたものをすべて「欧米」と呼んで、いろんな分野で各国の方式を組み合わせてきました。そして、いいとこ取りをしたつもりが、時代の変化によって悪いとこ取りになっているケースが目立ってきています。仕方がないのです。時代が変わったのですから、いいとこ取りの旧い最適化モデルを変化させないといけない。だからこそ、まずは日本が近代化以前に得たもの、日本が近代化以後に得たもの、そして我々が今、適用しないといけないものをしっかり整理することが大切なのです。その上で、欧州のどこを真似するかという議論は一旦やめて、そもそも「日本には何が向いていたのか」、そして「これから何が向いているのか」を、歴史を振り返りながら考えていかないといけにのです。(pp.32-33)

これについては、例えば、法律は典型的で、刑法はドイツ、民法はフランスが基盤になっていて、大日本帝国憲法はドイツ、日本国憲法は米国を模範にしていて、その時代の最適化が環境変化で齟齬が生じてきていると言っています。

日本の歴史と伝統を冷静に見つめていくと、欧州式の概念の中には、日本には合わないものも多いことが分かります。その典型例が、平等と公平という概念です。平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということです。何かの権利を一か所に集めて、それを再分配することによって、全員に同じ権利がある状態を指します。それに対して、公平はフェアだということです。システムの中にエラーがないことや、ズルや不正や優遇をしないということです。(p.33)

ほかに欧州発で日本に向いていないものとして、「男女平等」や、「近代的個人」の考え方について書かれています。

西洋的思想と日本の相性の悪さは、仕事観にもあらわれています。今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いています。無理なく、そして自然に働くのが大切なのです。(p.40)
日本人は、古来、生活の一部として仕事をしていました。先に述べた百姓という言葉は、農耕主体の社会において100の細かい別々の仕事をしているという意味です。東洋的には、ずっと仕事のなかにいながら生きている。そしてそれがストレスなく生活と一致しているのが美しい。むしろオンとオフを切り分けたら、世界は幸せな状態ではなくなるのです。つまり負荷がかかっている状態を容認することになる。無理なくできることを組み合わせて生きていけるようなポートフォリオ設定することが大切なのです。(p.41)
我々が成長的な「ワークライフバランス」の発想にとらわれる必要はないのです。むしろ、そうした発想のままでいると、日本を再興することはできません。明治時代の時もいきなり西洋化したのですから、我々は今、いきなり東洋化してもいいのです。これはおそらく歴史の揺り戻しでしょう。個人と集団、自然化と人間中心の間でものを考える中で、今は、自然で集団の時代に突入しているのです。(p.41)

この考え方への気づきは大変重要です。長い歴史の中作られた狩猟型と農耕型の決定的な遺伝子の違いはそう簡単には変えられないでしょう。ただ言えるのは、農耕型は環境に対して柔軟に変化していけるということです。

また、東洋思想と西洋思想の違いを上手く表現されています。

東洋文化では、理解できないのは自分のせいだから、修行しようという精神が求められるのです。分かりにくいものを頑張って勉強することで理解していく―それが東洋的な価値観なのです。言外の意味を修行によって獲得する。それは、言外の意味が参照可能な西洋的文法に対して、内在させようとする仏教的、東洋的文法だと思います。

一方、西洋の精神は、個人主義で、みなが理解する権利があると考えます。もし内容が理解できなければ、「わかりやすくインストラクションしないお前が悪い」という精神なのです。読み手が自分で修業しろ、というのはとんでもないことで、ジャンプなく読み手のところまで降りていかないといけません。(p.47)

さて、いまの日本の停滞感を次のように分析しています。おもしろい切り口です。中国を正解だとすると、振り返って考えたらあきらかに日本は間違いでした。

IT変革のところで日本は一番苦しんでいます。日本は50~60年くらいに一回、考え方を大きく変えるのが今までの発展においては重要な国であって、本当は、戦後50~60年の2000年ごろのタイミングで大きく思考を転換するべきでした。(pp.55-56)
僕らは日本をIT鎖国できなかったせいで、中国のようにアリババやテンセントやバイドゥを生むことができませんでした。2000年代の日本は、IT鎖国をした中国をバカにしていて、グレートファイアウォールと揶揄していましたが、結果として中国のほうが正しかったのです。(p.56)

結果論ですが、確かにそれはそう言えるでしょう。あくまでも結果論ですが・・・。

今振り返って、2000年ごろに日本が変われなかった原因は2つあります。

一つ目は、大きな社会変革を起こすには、まだ伝統的な日本企業が強すぎたのです。2000年当時は世界第2位の経済大国でしたし、米国の半分のGDPがありました。その後、2010年には中国に逆転されて、今では中国のGDPは日本の倍になっています。米国のGDPはもう日本の4倍です。しかも、このまま業態の更新ができないままんだと、この差は開くばかりです。過去15年に変われなかったがゆえに、これほどの差がついたということをまず復習しないといけません。

二つ目の原因は、日本人の意識とものの考え方です。日本人の意識が昭和的均質のままだったのです。今なお日本には、昭和の意識が残っていますが、2000年当時は昭和色がもっと濃かったのです。当時も今も、現場レベルでは変わろうとしているのですが、メディアが古くて変わらないので、多くの人が「今のままでいい」と安心してしまうのです。(pp.56-57)

そして、筆者は次のように提案しています。

こうした日本の意識を変えるために大切なのは、日本という国の成り立ちや、過去50~100年での変化、そして、日本の持っている良さをきちんと理解することです。その前提がないと、業態転換を訴えても何か浮ついて見えてしまいます。(p.57)

この足かせとなっているのが、「近代的な日本人のものの考え方」や、「伝統的特性」、「今足りないものの入手」など、更新をしていくべきなのです、と言います。

「欧米」という概念とともに、近年の日本人が振り回されがちなのは、グローバル化という言葉です。グローバル化は、きちっとしたローカルがあることによって成立するものです。ローカルがないままにグローバル化は、形から入って結果が生まれなくなる。英語だけが喋れて何もできない人が増えるだけです。(p.59)

続いて第二章では、「日本とは何か」を問います。

いつの時代も、社会の中での重要性を決めるのは、市場での希少価値です。数が少ない人たち、レアな人と達ほど価値が高いのです。たとえば、新しい仕組みを考えたりイノベーションを起こしたりするクリエイティブクラスは明らかにレアなので、価値が高い。誰にも作れないモノを作れる人は価値が高い。それに対して、現代のホワイトカラーの仕事をできる人や機能はほかにもたくさんいるし、あります。だから価値が相対的に低いのです。(p.78)
拝金主義を抜け出すためにも、もうちょっと文化性を持つようにしないといけません。まっとうな心を持っていれば、「お金を稼いでいるからすごい」とは思わないはずです。それなのに、今の日本では、「お金を稼いでいればすごい」というふうになってしまています。もともとの日本人は、収入を生むことと生み出す価値と資産はそれぞれ異なったものであって、収入ばかりを考えることはなかったはずです。(p.85)
拝金主義とともに、日本をむしばんでいるのが、トレンディードラマ的世界観です。(pp.86-87)
こうした拝金主義的な考えを変えるために大事なのは、文化であり、美意識であり、その基盤となる教育です。教育によって、大人も変えることは可能です。とくに大人に対して教育効果が大きいマスメディアを10年間かけて変えるしかありません。トレンディードラマが拝金主義者を生み出したとしたら、またトレンディードラマでその洗脳を解くしかないのです。拝金主義を撲滅するためにも、「年収300万円だよ」と言って生産する人を馬鹿にするような金融崇拝の人たちを、ちゃんと、お金だけの軸で考えてはいけないと律するような社会のコンセンサスを作りまくるしかありません。年収レンジだけでモノを考えていたら、社会の富や価値は多様性を持ちえないし、これから先あまり増えないことを思い知らせる必要があるのです。(pp.92-93)

第3章は、「テクノロジーは世界をどう変えるか」です。ここは特に筆者が得意とするところでしょう。

これから2025年、2030年に向けて、世界は「デジタルネイチャー(計算機自然)」へ向かっていくはずです。この「デジタルネイチャー」こそが僕が未来を考える上でのキーワードです。「デジタルネイチャー」とは何かという定義をお伝えすると、ユビキタスの後、ミックスドリアリティ(現実空間と仮想空間が融合する「複合現実」)を超えて、人、Bot、物質、バーチャル区別がつかなくなる世界のことです。そして、計算機が偏在する世界において再解釈される「自然」に適合した世界の世界観を含むものです。「デジタルネイチャー」は、英語では、「Super nature defined by computational resources」と説明されることが多いのですが、コンピュータによって定義されうる自然物と人工物の垣根を超えた超自然のことです。デジタルとアナログの空間をごちゃまぜにしたときに現れ得る本質であり、従来の自然状態のように放っておくとその状態になるようなコンピュータ以後の人間から見た新しい自然です。それは、質量のない世界にコードによって記述される新自然みたいなものともいえます。それが質量や物質や人間と混ざり合って新しい自然をつくる。僕らの研究室では、それをデジタルネイチャーとして未来イメージを捉えようとしています。(pp.133-134)
その中で世界のあらゆるところに多様性が生まれます。あらゆるデータの表現系は二分法からグラデーションになっていき、人間の知性は個と全体の垣根を飛び越え、近代的人間性から超克される、と考えています。そのための自然観について僕は、研究者としてリサーチしながら起業家として製品の社会実装を目指しています。(pp.134-135)
この考え方のポイントは、「リアル/バーチャル」や「フィジカル/バーチャル」など二分法や二項対立で分けたがる世界を突破するために、人間という考え方も含めて、すべてをミックスしてしまうということです。自然そのものも更新されうるということです。(p.135)

このあたりはさすが得意分野ですね。切れ味の鋭い感覚がよくわかり、勉強になります。

そして、第4章として「日本再興のグランドデザイン」に入っていきます。

人口減少と少子高齢化はこれからの日本にとって大チャンスなのです。その理由は3つあります。

一つ目は自由化、省人化に対する「打ち壊し運動」が起きないことです。人が減って、かつ、高齢化で働ける人が減るので、仕事が機械化してもネガティブな圧力がかかりにくい。産業革命のときに労働者が機械を破壊したようなラッダイト運動が起こらないのです。

二つ目は「輸出戦略」です。日本は、人口減少・高齢化が速く進む分、高齢化社会に向けた新しい実験をやりやすい立場にあります。これから中国を筆頭に世界中が高齢化します。もし日本が、人口減少と少子高齢化へのソリューションを生み出すことができれば、それは “最強の主出戦略” になるのです。

三つ目は「教育投資」です。これからの日本は、人材の教育コストを多く書けることができる国になります。日本は人口が減少しているので、相対的に大人の数が多くなり、子どもの数が少なくなります。すると、「子どもは少なくて貴重なのだから大切にしよう」ということになります。社会全体として、子どもに投資しても、不平が出にくくなります。子どもに対して教育コストをかけることが、社会正義であり社会善になるのです。この条件を生かさない手はありません。(pp.154-155)

とにかく、今後の日本では機械化と省人化が肝なのです。機械化のメリットは、制御や最適化ができることです。移民を推奨する人もいますが、やはり政治的・警備的コストが大きすぎます。日本人という既得権者にとってなかなか受け入れるのが難しいでしょう。それに比べて、機械は生まれたときから何をするか決められているので、日本人にとって非常にリーズナブルな選択になるのです。(pp.159-160)

続いて、ブロックチェーンのお話です。

今までは、中央銀行が発行した通貨を中心とする、中央集権的な経済圏しかありませんでした。それに対して、トークンエコノミーが普及すれば、非中央集権的に様々な経済圏を作ることができるようになります。株式市場では、株式公開することをIPO(新規株式上場)と言いますが、仮想通貨の分野では、ICO(イニシャル・コストオファリング)という上場の方法があります。この手法を使えば、証券会社の介在がなくとも「ホワイトペーパー」を出せば、ある程度自由に上場することができます。上場できるのは、会社だけではありません。個人が上場してもいいですし、プロジェクトが上場してもいい。市や県、国だって上場していい。実際に、欧州のエストニアは国自体をICOして話題になりました。(p.167)

その後もいろいと話は展開されますが、私がポイントととして感じたのは、この章まででした。

残りはまた各自でちぇっくして見てみてください。非常に刺激のある著作でした。

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