ドラッカー: 人・思想・実践

ドラッカー: 人・思想・実践

ドラッカー: 人・思想・実践
著者:三浦 一郎,井坂 康志

内容紹介
マネジメントで知られるドラッカー(1909~2005年)は、経営のみならず、政治、社会、NPOなどに多大な影響力を持ち、現代日本にも大きく貢献した。ドラッカーが追求した思想と実践の全体像の体系的構築を跡づけるべく、最新の研究成果から一流経営者による実践まで、「ドラッカー思考」の核心を一冊に凝縮。
ドラッカーが蘊奥を明かした伝説のインタビュー「コンサルタントの条件」を収載!

内容(「BOOK」データベースより)
「経営」のドラッカー像を大胆に脱し、「新時代の哲人」としての新たな相貌を示す。ドラッカーがプロの核心を明かした1970年のインタビュー「コンサルタントの条件」を収載!

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯] 図書館で見かけました・・・偶然の出会い。
[目的・質問] ドラッカー学会監修ということで、学会としてのドラッカーの解釈を知られればと思います。
[分類] 335.1:経営学

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
三浦/一郎
京都大学大学院経済学研究科博士後期課程満期退学。立命館大学経営学部教授、ドラッカー学会代表

井坂/康志
早稲田大学政治経済学部卒業。東京大学人文社会系研究科博士課程単位取得退学。ものつくり大学特別客員教授、ドラッカー学会理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

まず最初は、ドラッカー本の翻訳者として有名な上田惇生さんの寄稿から始まります。

ドラッカーがマネジメントを「発明」したとされるのには二つの意味がある。一つはそのフレームワーク、あるいは体系を確立したという意味での発明、もう一つはそのスキルを発展させたという意味での発明である。ここでもフレームとスキルの二つの側面が両輪として機能している。(p.1)
発展させる人々に共通するのは、マネジメントをスキルの問題とともにフレームワークの問題すなわち世界観の問題と捉えている。言い換えると、マネジメントとはスキルでない無数のものを含んでいる。そこには必ず世界観、思想や哲学がある。何事も手段だけを発展させることはできない。(p.1)
フレームワークとはヴィジョン(視角)を固定する役割を持つ。ゆえにその重要性はだれしも認めざるを得ないながらも、あまりに基本的過ぎるために気づかれることはない。これまでも、種々の学問領域において進歩に貢献してきた者に共通するのは、新たなフレームワークを見出したことにある。・・・つまり、フレームワークのほうがスキルより大切だということである。同じことはマネジメントについても言える。マネジメントとは実に多くの異なる領域からの方法知の濃縮物と見ることができる。そのなかで核となるのはマネジメントの中軸を貫くフレームワークである。(pp.7-8)
彼の手法には予期せぬ成功、すなわち理由はわからないながらもうまくできることを徹底的に追求せよといたものが良く出てくる。あるいは人に聞けとも言う。要は自分で意識していること、わかっていることなどたかが知れている。知られていないことのほうが無数にある。だが、それがきちんと説明されるのを待ってはいられない。そのためのアプローチがドラッカー流のものだった。大事なのは、世界をそのようなものとして見ているかどうか、それだけだった。理論ではなく現象を丹念に描いていく。定義や原理は必要ない。現象は現象を刺激し新たな現象を呼ぶ。それだけで十分である。解釈は読み手がそれぞれにすればいい。得たい人が得たものを得ればよい。(p.11)
守備範囲の広さがドラッカーの特徴である。マネジメントの師の師であるだけではない。・・・そのカバーする領域は、社会、政治、経済、統計、経営、国際化系、アメリカ、ヨーロッパ、日本、宗教、歴史哲学、倫理。文学、美術、教育、自己実現に及ぶ。こう書き上げてみると抜けているものを探すのに苦労する。何しろ、2,3年に一つずつ徹底的に勉強するという習慣を70年も続けている。それだけで20学問から30学問、20体系から30体系に達する。そしてそれら異分野のものが、出会い、衝突し、合体し、融合し、爆発しているのが、ドラッカーの頭の中なのであろう。(p.36)
ドラッカーの問題意識と方法論は一貫している。もちろん重点は移行していく。たとえば、人口問題については、高齢化よりも少子化に強い危機感を持つようになった。方法論については、論理よりも全体を全体として把握する能力、つまり近くの重要性を強調するようになった。(p.37)
ドラッカーの二つの世界(マネジメント、社会生態学)の世界は絡み合っている。といより一体である。二つの世界があるように見えても問題意識はつながっている。彼は、社会的な存在とs知恵の人の幸せに関心を持つ。だから社会とその発展に関心を持つ。彼は継続と変革の双方を求める。継続がなければ社会でなくなり、変革が無ければ社会は発展しない。その問題意識は、いかにして継続のメカニズムに変革のメカニズムを組み込むかである。(p.38)
社会生態学は、分析と論理ではなく、知覚と観察を旨とする。社会生態学と社会学の違いはここにある。社会生態学は分析や論理のとらわれない。分析や論理が完全でないことはりえない。ドラッカーははこういう。理論は体系化する。創造することはほとんどない。体系化とは整理分類のことである。しかも社会は大きく変わっていく。社会科学のパラダイムは変化してやまない。加速度的に変化していく。社会生態学はその変化を見る。変化が本質を現す。社会生態学は総体としての携帯を扱う。全体を見る。全体は部分の集合よりも大きくはないかもしれない。しかし部分の集合ではない。それは命あるものである。(p.40)
ドラッカーは「マネジメントの発明」に引き続き、もう一つ、「イノベーションの発明者」でもあった。・・・ドラッカーはマネジメントを発明した書とされる『現代の経営』以降、マネジメントにおけるイノベーションの役割について言及しなかった著書はない。・・・イノベーションについてこの新しい段階を切り開いたのが、『イノベーションと企業家精神』であった。それは、「マネジメントの発明」において『現代の経営』がし得たと同様の位置を「イノベーションの発明」において締めるものとなった。(pp.65-66)
ドラッカーはそれらの先駆的成果(テイラー、バーナード、フォレットなど)にもかかわらず、『現代の経営』は「世界で最初の経営書」であるとし、次のように述べた。

「(それは)マネジメントを全体として見た初めての本であり、マネジメントを独立した機能としてとらえ、マネジメントすることを特別の仕事として理解し、経営管理者であることを特別の責務としてとらえた最初の本である。」

ドラッカーは、「それ以前のマネジメントに関する本はすべて、そして今日にいたるもそのほとんどは、マネジメントの一局面を見ているに過ぎない。しかも通常、組織、方針、人間関係、権限など、企業の内部しか見ていない」と述べ、これに対して『現代の経営』は、企業を次の3つの次元で見たという。

第一に、市場や顧客のために、経済的な成果を生み出す機関。
第二に、人を雇用し、育成し、報酬を与え、彼らを生産的な存在とするための組織、したがって統治能力と価値観を持ち、権限と責任の関係を規定する人間的、社会的組織。
第三に、社会やコミュニティに根ざすがゆえに、公益を考えるべき社会的機関。

そのうえで「『現代の経営』は、・・・今日われわれがマネジメントの体系としているものを生み出した。・・・実はそれこそ、『現代の経営』を書いた目的であり、意図だった」と述べている。こうしてドラッカーは『現代の経営』によってそれまで誰も果たしたことのなかった「マネジメントの体系」を世に問い、これによって、現代産業社会における経営者支配の「権力の正統性」を確立しようとした。そしてこれこそが、「マネジメントの発明」といわれるべきものであったのである。(pp.67-68)

これは目から鱗です。経営学においても、ドラッカーがなぜか別格のように扱われる理由が分かった気がします。たとえば戦略論とか組織論とか、経営学でもパーツで語られることが多い中、ドラッカーは全体を捉えて語っているんですね。言われてみれば、たしかにそうです。そういう意味では、経営学を学ぶ上でもドラッカーはやはり避けては通れず、深く理解したうえでパーツに入っていくべきなのでしょう。

ドラッカーは、『現代の経営』を著して、現代産業社会の基礎にある経営者支配の「権力の正統性」を証明する「マネジメント機能」の実践的知識体系の確立を図ったが、ドラッカーはこの「マネジメントの体系」の基点を、周知のように「企業の目的」を考えることから始めた。そして、「企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である」という有名な命題を打ち出した。・・・・その上で、ドラッカーは、「企業の目的が顧客の想像であることから、企業には二つの基本的な機能が存在する。すなわち、マーケティングとイノベーションである」として、企業家的機能の二大支柱を明確にした。(pp.71-72)

これら二つの基本的な企業家的機能について、ドラッカーはさらに次のように付言している。

まず、「マーケティングは、企業家に特有の機能である。財やサービスを市場で売ることが、企業を他のあらゆる人間組織から区別する」と述べる。そして「1900年以降のアメリカ経済の革命とは、主としてマーケティング革命だった」という。しかし、「マーケティングだけでは企業は成立しない。静的な経済の中では企業は存在しえない。企業人さえ存在しない」「企業は発展する経済においてのみ存在する。少なくとも変化が当然であり望ましいものとされる経済においてのみ存在しうる。企業とは、成長、拡大、変化のための機関である」という。(p.72)
したがって、「第二の企業家的機能はイノベーションである。すなわち、より優れた、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は、単に経済的な財やサービスを提供するだけでは十分ではない。より優れたものを創造し供給しなければならない。企業にとって、より大きなものに成長することは必ずしも必要ではない。しかし、常により優れたものに成長する必要はある」と述べている。(p.72)
こうして、イノベーションはマーケティングと並ぶ、企業家機能の二大支柱とされている。しかし、実際に『現代の経営』では、定常状態の中での企業者的機能、マネジメント機能の体系を示すことに基本が置かれており、「成長、拡大、変化のための機関」としての企業を創出する企業者機能、マネジメント機能については必ずしも正面に浮かんでいるわけではない。(p.72)

 

『現代の経営』は第7章「企業の目標」に「イノベーションに関わる目標」という項目を設け、ここでイノベーションにかかわるいくつかの重要な視点を述べている。それを項目的に整理してみると、以下のようなものとなる。(p.73)

  1. 「イノベーションに関わる目標設定の最大の問題は、影響度や重要度を評価測定することの難しさにある。」したがって、「イノベーションに関わる目標は、マーケティングに関わる目標ほどには明確でもなければ、焦点もはっきりしない」ということである。
  2. 「イノベーションには時間がかかる。今日リーダー的な地位にある企業の多くは、四半世紀以上も前の世代の活動によって今日の地位にある」「したがって、イノベーションに関わる活動とその成果を評価するための指標が必要となる」。
  3. 「イノベーションの必要性を最も強調すべきは、技術変化が劇的でない事業においてである」「技術変化が劇的でない事業ほど、組織全体が硬直化しやすい。それだけに、イノベーションに力を入れる必要がある」。

しかし、このような重要な指摘にもかかわらず、ここではイノベーションの実践について体系的な知識が提示されているわけではない。

シュンペーターは、企業家による新結合が果たす経済発展に果たす現実的な役割を強調した。そして、この「新結合」、つまり我々がいうイノベーション(シュンペーターは「新結合」という表現を自身で「イノベーション」と言い換えたといわれる)は、周知のように5つの場合を含むとした。

  1. 新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは当たら石品質の財貨の生産。
  2. 新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。
  3. 阿多さいい販路の開拓、すなわち当該国の当該産業部門が従来参加していなかった市場の開拓。
  4. 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。
  5. 新しい組織の実現。

ドラッカーは後に、『イノベーションと企業家精神』の序章で、このシュンペーターの果たした役割に触れ、「主な近代経済学者のうち、企業家とその経済に与える影響に取り組んだのはジョセフ・シュンペーターだけでなる」と述べている。(p.74)

『断絶の時代』では、さらに具体的に「イノベーションのための組織」とつくることの重要性に言及し、そのための次のようないくつかの留意点を述べている。(pp.76-77)

  • 企業家たるものは、イノベーションのための組織をつくりマネジメントしなければならない。新しいものを予測し、ヴィジョンを技術と製品プロセスに転換し、かつ新しいものを受け入れることのできる人間集団をつくり、マネジメントしなければならない。
  • イノベーションのための組織は既存の事業のための組織とは切り離しておかなければならない。
  • イノベーションのためには、トップの役割も変わらなければならない。
  • イノベーションのための組織が行ってはならないことは、目標を低く設定することである。
  • イノベーションにおいて最も重要なことは、成功すれば新事業が生まれるかどうかを考えることである。これは、既存事業において長期計画や資源配分を検討する際の問題意識とは全く異なる。後者においてはリスクを最小にしようとし、前者においては成果を最大にしようとする。
イノベーションを行う組織に見られるいくつかの共通する特徴があるとして、以下のような6つの点を挙げている。

  1. イノベーションの意味を知っている。
  2. イノベーションの力学というものの存在に気付いている。
  3. イノベーションの戦略を知っている。
  4. 管理的な目標や基準とは別に、イノベーションのための目標と基準を持っている。
  5. マネジメント、特にトップマネジメントの果たす役割と姿勢が違う
  6. イノベーションのための活動を、日常のマネジメントのための活動から独立させて組織している。

こうしてドラッカーは『現代の経営』以後、自身の著作の中で、企業だけではなく現代の組織におけるイノベーションの必要を説き、それを推進するためには独自のマネジメントと組織は必要であることに繰り返し言及した。しかし、それらはいずれもイノベーションの実践についての体系的な指針となるものにはいたっていないかった。その意味では、それはまだ、ドラッカー自身においてイノベーションの重要性の確認、「イノベーションの発見」にとどまった。(pp.77-78)

ドラッカーのイノベーションに対する位置づけがよく分かりました。本来は原著でこのあたり学ぶべきなのでしょうが、うまくエッセンスを教えてくれます。こういうのを提供してくれる授業、聞きたいです。でも・・・このあたりも実際に企業で働いて現場にいるからこそ実感としてわかることであって、なかなかそうでないと机上の理論としてしか分からない気がします。

 

ドラッカーが発明した「イノベーションの体系」はどのようなものか。ドラッカーは「イノベーションと企業家精神」を、以下の3つの「側面」から説明している。

  1. イノベーションの方法
  2. 企業家精神
  3. 企業家戦略

第一の「イノベーションの方法」の部分では、イノベーションを目的意識的に行う一つの体系的な営みであることを前提として、イノベーションの機会をどこで、いかにして見出すべきかを明らかにしている。その際、特徴をなしているのは、周知の「イノベーションのための7つの機会」というイノベーションの実践論、方法論である。「イノベーションの7つの機会」とは、よく知られるように、以下の7つの機会である。

第一の機会 「予期せぬ成功と失敗を利用する」
第二の機会 「ギャップを探す」
第三の機会 「ニーズを見つける」
第四の機会 「産業構造の変化を知る」
第五の機会 「人口構造の変化に着目する」
第六の機会 「認識の変化を捉える」
第七の機会 「新しい知識を活用する」

ドラッカーは7つの機会のこの順番を重視している。ドラッカーはこれら7つの機会は「信頼性と確実性の大きい順に」並べてあると述べている。(pp.79-80)

「企業家戦略」の部分では、現実の市場において、いかにイノベーションを成功させるか、その企業家戦略に焦点が当てられている。企業家精神を発揮するには、組織内部に関わる原理と方法が必要であるが、これと合わせて、組織の外部、市場に関わるいくつかの原理と方法が必要である。これが「企業家戦略」といわれるものである。その上で、ドラッカーは企業家戦略として、「走力戦略」「ゲリラ戦略」「ニッチ戦略」「顧客創造戦略」という、4つの戦略を挙げている。(p.81)
ドラッカーは時代の「断絶」を、(1)「企業家の時代」、(2)「グローバル化の時代」、(3)「組織社会の時代」、(4)「知識の時代」の到来と要約した。これらの中でも、ドラッカーが「最も重要なこと」としたのは、「知識の性格の変化」であった。ドラッカーは、「経済は、財の経済から知識の経済へと移行した」「知識の生産性が経済の生産性、競争力、経済発展の鍵となった」という。したがって、社会を支える労働の在り方も大きく変わりつつある。具体的に、「経済の基礎は肉体労働から知識労働へと移行し、社会的支出の中心も財から知識へと移行した」。その結果、「これからは、学校教育の延長と継続教育の発展との調和が、教育の内容と構造に関わる中心的否課題となる」という。こうして、これまで続いてきた「財の時代」から「知識の時代」が到来しつつあり、人々はこの新しい「知識の時代」に備えなければならないという。ドラッカーは、こうして「断絶の時代」の到来を説き、新しい時代の到来への発想の転換の必要を訴えた。また、この「断絶の時代」を新たな発展の機会にすることができるし、しなければならないと確信した。そして、このような新しい「断絶の時代」に備える最大の武器がイノベーションであり、このイノベーションを志す人々誰でもがsそれを目的意識的に追記できる「道具」を体系的に示そうとした。それが1985年に著書『イノベーションと企業家精神』であり、「イノベーションの発明」であったということができる。(pp.84-85)
マーケティングについて、その「二つの企業家的機能」では、次のように述べられている。「企業の目的が顧客の創造であることから、企業には二つの基本的な機能が存在することになる。すなわち、マーケティングとイノベーションである。この二つの機能こそ、まさに企業家的機能を他のあらゆる人間組織から区別する。教会、軍、学校、国家のいずれも、そのようなことはしない。剤やサービスのマーケティングを通して自らの目的を達成する組織は、すべて企業である。逆に、マーケティングが欠落した組織や、それが偶発的に行われるだけの組織は企業ではないし、企業のようにマネジメントすることもできない。」そして、「経済成長の機関としての企業」では、マーケティングとイノベーションの区別が行われる。「しかし、マーケティングだけでは企業は成立しない。静的な経済の中では、企業は存在しえない。静的な社会における中間商人は、手数料収入を得るブローカーにすぎない。企業は、発展する経済においてのみ存在し得る。少なくとも、変化が当然であり望ましいものとされる経済においてのみ存在しうる。企業とは、成長、拡大、変化のための機関である。したがって、第二の企業家的機能は、イノベーションである。すなわち、より優れた、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は、単に経済的な財やサービスを供給するだけでは十分でない。よりすぐれたものを創造し供給しなければならない。」(p.90)
1954年の『現代の経営』における、マーケティングの最初の規定は「財やサービスを市場で売ること」であった。これが次のように変化する。「50年前、マーケティングに対する企業人の典型定期な考え方は、『工場が生産したものを販売する』だった。しかし今日では、彼らの考えはますます『市場が必要とする者を生産する』に変わっている。」マーケティングの出発点は、市場での販売であった。それが、生産にさかのぼっていく。そしてこのように結論される。「マーケティングは、企業にとってあまりに基本的な活動である。強力な販売部門を持ち、そこにマーケティングを任せるだけでは不十分である。マーケティングは、単なる販売よりもはるかに大きな活動である。それは専門化されるべき活動ではなく、全事業にかかわる活動である。まさにマーケティングは、事業の最終成果、すなわち顧客の観点から見た全事業である。したがって、マーケティングに対する関心と責任は、企業の全領域に浸透させることが不可欠である。」(p.92)
ドラッカーは「マーケティングの恥」を機会として生かすべきだと主張し、「販売からマーケティングへ」の転換を提起している。「これまでマーケティングは、販売に関係する全職能の遂行を意味するにすぎなかった。それでは、まだ販売である。われわれの製品からスタートしている。われわれの市場を探している。これに対し今やマーケティングは、シアーズが顧客の人口構造、顧客の現実、顧客のニーズ、顧客の価値からスタートしたように、顧客からスタートする。『われわれは何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を考える。『われわれの製品やサービスにできることはこれである』ではなく、『顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである』と言う。実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。何らかの販売は必要である。しかし、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである。」(pp.93-94)

この部分は、問題の本質を強調するために、かなり極端なレトリックを駆使しいてると解釈されています。この販売とマーケティングの位置づけについては、いろいろな方が補足されているようでして、たとえばコトラーの場合はこうです。

コトラーは、その教科書のたいてい最初の章に「市場に対する企業の方針」という節を置いて説明している。「市場に対する企業方針」には、互いに相容れない「生産コンセプト」「製品コンセプト」「販売コンセプト」「マーケティング・コンセプト」「ソサイエタル・コンセプト」があるというものである。この中の、とくに「販売コンセプト」と「マーケティング・コンセプト」と取り上げて比較すると、ドラッカーの記述の趣旨がよく理解できる、というものである。セオドア・レヴィットが評価するように、ドラッカーはマーケティング・コンセプトの代表的な主唱者(むしろ創設者)であった。(pp.94-95)
シュンペーターがイノベーションとインベンションを区別し、「新結合の5つの場合」の中に「新市場開拓」「新供給源」「新組織」を入れていたように、シュンペーターはイノベーションを技術革新に限定していたわけではない。この特徴は、ドラッカーでは一層徹底されている。ドラッカーのイノベーションは、当然、技術的述べ―ションを含んでいる。しかしそれだけでなく、特に社会的イノベーションを評価するところにドラッカーの特徴がある。「イノベーションとは、人的資源や物的資源に対し、より大きな富を生み出す新しい能力をもたらすことである。イノベーションは、特に発展途上の国にとって重要である。それらの国にも資源はある。それらの資源を生産的なものにする能力を持たないから貧しいのである。技術は輸入することができる。しかし輸入した技術を使いこなすには、自らがそのために必要な社会的イノベーションを行わなければならない。・・・マネジメントたるものものは、社会のニーズを持って、利益をあげる事業機会としてとらえなければならない。これこそイノベーションの定義である。このことは、社会、教育、医療、都市、環境などさまざまなニーズが強く意識されている今日にあって、特に強調されるべきである。実はそれらのニーズは、19世紀の企業家が成長産業に転換した当時の社会的ニーズと同じ種類のものである。そのようにして、新聞、路面電車、ビル街、教科書、電話、医薬品は生み出された。今日再び新たな社会的ニーズが、イノベーションを行う企業を求めている。」(pp.96-97)

シュンペーターが馬車から鉄道への変化をイノベーションのイメージとして取り上げたのに対して、ドラッカーのエスキモーの冷蔵庫の例示によるイメージを提示しているというのは、おもしろいところです。

フィリップ・コトラーは『マーケティング・マネジメント ミレニアム版」』で、「マーケティング・コンセプト」について、次のように述べている。「マーケティング・コンセプトを実行している企業は、どのくらいあるのだろうか。残念ながらきわめて少ない。優れたマーケターとして名を馳せているのは、ほんの一握りの企業にすぎない。・・・大方の企業は、マーケテイング・コンセプトを受け入れざるを得ない状況になるまで取り入れようとしない。」そしてその理由として、「企業の中にはマーケティング部門が強化されると、組織内における自分たち影響力が脅かされると信じている部門(製造、財務、研究開発)が多い」ということを挙げている。コトラーの「マーケティング・マネジメント』は『ミレニアム版』より後の改訂でケビン・レーン・ケラーとの共著になる。そこでは、以上のような記述は消え、「ホリスティック・マーケティング・コンセプト」が提起された。これは、「マーケティング・コンセプト」を改めて強化するためのものと考えることができる。「ホリスティック・マーケティング・コンセプト」は、インターナル・マーケティング、統合型マーケティング、リレーションシップ・マーケティング、社会的責任マーケティングの4つの柱からなるが、その枠組みはドラッカーの『マネジメント』第一部「マネジメントの役割」の基本構成の影響を強く受けたものである。(pp.101-102)

ドラッカーの著作だけを読んでもなかなか見えないところが、シュンペーターやコトラーなど、それぞれイノベーションであり、マーケティングの大家との比較をしながら、多面的に理解できるように書かれていて、非常にありがたい視点の提供をしてくれています。確かにタイトルも、内容を網羅した良いタイトルだと思いますが、これが「売れる・売れない」という問題になるとまた違います。そういう意味で、せっかくの本でせっかくの内容なのですが、顧客(読者)のことをあまり考えられずに出された本というのが、皮肉な感じがします。

ドラッカー先生から学ぶべきところは、どれだけあるのだろう。いったん私の方も大きく関わりのある、「マーケティング」と「イノベーション」についてはより深く学んでいきたいと思っています。

 

このあともいろいろと続いていくのですが、私の現行業務と直接関わりの深い領域のこの章までを集中的にまとめさえていただきました。

 

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