日本経営史 江戸時代から21世紀へ

日本経営史 新版―江戸時代から21世紀へ (Y21)

(著者:宮本又郎ほか)

★読書前のaffirmation!
[目的] 日本の経営史について学ぶ
[質問] 日本の経営とはどんな特性を持って今に至るのだろう

以下、章ごとにまとめていく。

第1章 日本型企業経営の起源として、江戸時代のついて、まず書かれておあり、下記の節で構成されている。
第1節 江戸時代の経済発展
第2節 江戸時代の商家経営
第3節 江戸期商家の経営システム
第4節 商家の経営管理システム

まず江戸時代は前代よりはるかに経済活動の意義が増し、その制度的条件が整えられた時代であることを抑えておきたい。
第1は朝廷・公家及び寺社などのいわゆる古代勢力の後退が決定的となった。
第2に、戦国時代を通じて、近世大名による両国一円支配が進み、分散割拠的な所領支配が崩れて、経済活動の広域化が実現した。
→大坂・江戸・京都などの中央経済都市が発達
第3に、戦国期から江戸初期は日本歴史上未曾有の大開墾期であり、水田稲作地が大河川下流部に広がる平野に広がった。
第4に、士農工商という身分制は分業関係の成立を意味した。都市と農村との物財の流通が展開した。
第5に、鎖国による中国と西洋の影響を最小限にとどめて、国家の自立を図ろうとする意識が鮮明に現れた。
第6に、第4・第5と密接に関連して、徳川幕府によって事実上はじめて国内通貨が統一された。
こうした環境条件の下で、さまざまな主体による経済活動が展開した。
(P.2-4)

幕末前になると、産業構造面では非農業化が一層進展した。多くはやはりプロト工業であり、近代産業に直接つながったわけではない。しかし、プロト工業が明治維新以後の在来産業の原型となったことやプロト工業の登場によって生じた経済上の変化―たとえば労働市場の変化、農村への市場経済の浸透、事業経営意識の芽生え―が本格的工業化への開始を促進する役割を果たしたことは無視されてはならない。(P.15-16)

第2章 近代経営の形成
こちらでは、明治前期・中期の企業経営に書かれており、下記の節で構成されている。
第1節 明治前・中期の日本経済
第2節 近代的経営組織の形成
第3節 近代的経営管理の形成
第4節 明治国家と企業

以下、詳細に各節をまとめていきたい。
第1節 明治前・中期の日本経済
1 開港と維新(1859~85年)
▽開港によって日本経済は大きく変貌した。
貿易の開始による貿易額の急増
・主な輸出(生糸)、輸入(織物)
流通機構の変革
・外国人との商取引
・これまでの株仲間の規制下での流通経路無視の取引
→新興企業家の成長
▽企業経営に影響を及ぼした維新前後の行動・施策
都市の大商人からの資金借入
・旧来の特権的な商人や金融業の凋落に拍車
新興企業家に有利な施策
・同業仲間の解散 → 営業の自由
▽大隈財政と松方財政
1871年 大蔵大輔 井上馨:緊縮財政の堅持→景況良くない
1873年 大蔵卿 大隈重信:通貨増発政策→インフレ、諸産業活況
1877年 西南戦争終了後、好況、支出増
→地租定額、インフレ昂進で収入減→財政破綻
1881年 大蔵卿 松方正義:超均衡財政、財政余剰の捻出
1882年 日本銀行設立
1884年 発券権を日本銀行に集中、銀本位制
1885年 銀貨兌換
→松方は財政と金融を分離し、近代的な通貨・信用制度を樹立した。
→82年の世界恐慌のなか、デフレーション政策を断行(松方デフレ)
→競争力のない泡沫的な企業は姿を消す

2 工業化の開始(1886~1905年)
1886年 輸出拡大
1889年 保険、鉄道、紡績など多数の株主からなる会社の設立
→政策的に育成が図られながら容易に定着しなかった近代産業開花
→企業勃興
1890年 恐慌→景気後退
1894-95年 日清戦争→賠償金の獲得→再び、企業勃興
1897年 金本位制による景況悪化
→当時、世界的に金銀比率が低下し続けていたため、銀本位制が有利
→松方正義は「脱亜入欧」を目指し、経済的利益の喪失を承知で断行
→この選択は在来産業の輸出の伸びを妨げ、近代産業にも打撃

3 産業構造の変化と近代産業の定着
▽産業構造の変化
日本では幕末以来、政策的に近代産業の育成が図られたが、その成果は容易に現れず、松方デフレ末期の1885年における非農林業従事者563万7000人(全有業者の25%)中、近代産業従事者が41万8000人にすぎなかった事実が示唆するように、明治前期の第2次および第3次産業は、ほぼ在来産業のみから成り立っていたとしても過言ではない。(P.89)

日本の工業化初期の大企業は金融業を関連を除けば運輸業、および紡績業を中心にした軽工業に属するものが多かった。(P.89-90)

▽近代産業の定着
日本の近代産業は金融業、運輸業(鉄道と海運)、製造業の順に展開していった。
①保険業
・福沢諭吉が幕末に日本に伝えた
・損害保険会社については福沢慎重、渋沢栄一が必要性を認識
→1879年 東京海上保険会社
・1900年に保険業法が公布・嗜好され、保険制度の整備が進んだ
②鉄道業
・明治初期の鉄道はすべて官設
→華・士族は私設鉄道の許可を目指す運動を続けていた
・1881年 私設鉄道として日本鉄道会社が設立
1885~92年 50もの鉄道会社の設立が出願 → 実点は14社
→87年私鉄の営業マイル数1320マイルは官設鉄道550マイルの2倍超
1892年末~97年 第2次鉄道熱が生じるも不況により赤字私鉄が続出
→商業会議所を通じて鉄道国有化を積極的に要求し、17社が国有化
③紡績業
・近代的紡績業の本格的展開は内務省により振興の1878年以降。
・内務省の支援により紡機2千錐規模の工場の建設。
・2千錐紡機の業績は概して悪かった。
1)出資者が地方の一部の豪族に限定
2)設備規模が過小
3)河川の渇水期に工場操業困難(動力が水車のため)
4)立地限定のため、労働力調達、製品販売で支障
5)技術者不足
・大阪紡績会社は、早期から欠点を克服
1)株式会社制度を採用
2)資金調達で1万500錐という大規模設備へ
3)蒸気機関の導入で安定操業
4)大都市大阪市の近郊のため労働力調達や製品販売が容易
5)イギリスで紡績技術に関する研鑽を積んだ山辺丈夫を迎えた
・1886年以降、一万錐規模の紡績工場が続々設立。
→1887年19社 → 1889年39社に増加
・日清戦後は、競争力のない企業は合併または買収される
→1899年78社 → 1904年49社に激減
④製糸業
製糸業は、まず需要の激増に対して座繰法という在来的量産技術の採用を進め、その結果生じた製品の質の低下にはヨーロッパの技術の導入で対処した。その際、資本が稀少で労働が豊富な当時の要素賦存の状況に見合った改良が伴っていた点が重要であるが、設備を軽便化した大工などの技術水準の高さや仕上げ・荷造り・出荷の共同事業化も注目されよう。

 

・・・・・途中ですが、公開しておきます。随時、インプットしてきます。

 

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