夕学講座「 茶の湯のかたちに見る、日本の美と心 」/千 宗屋


タイトル:「 茶の湯のかたちに見る、日本の美と心 」
講師:千 宗屋(武者小路千家家元後嗣)
日時:2018/12/12(水) 18:30~20:30
場所:大阪商工会議所(サテライトLIVE放送)

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久しぶりの夕学講座ですが、非常に勉強になりました。
特に、村田珠光の手紙、利休の七か条は手元において何度も読み返したい言葉です。

まずは珠光のほうからです。

珠光が、茶の湯の弟子である古市澄胤に宛てたとされる『古市播磨法師宛一紙』として知られる文書(通称「心の師の文」)です。

【原文】

古市播磨法師        珠光

この道、第一わろき事は、心の我慢・我執なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下すこと、一段勿体無き事どもなり。功者には近つきて一言をも歎き、また、初心の物をば、いかにも育つべき事なり。この道の一大事は、和漢この境を紛らわすこと、肝要肝要、用心あるべきことなり。また、当時、ひえかる(冷え枯る)ると申して、初心の人体が、備前物、信楽物などを持ちて、人も許さぬたけくらむこと、言語道断なり。かるる(枯るる)ということは、よき道具を持ち、その味わいをよく知りて、心の下地によりて、たけくらみて、後まて冷え痩せてこそ面白くあるべきなり。また、さはあれども、一向かなわぬ人体は、道具にはからかふべからず候なり。いか様の手取り風情にても、歎く所、肝要にて候。ただ、我慢我執が悪きことにて候。または、我慢なくてもならぬ道なり。銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。

【現代語訳】

この道において、まず忌むべきは、自慢・執着の心である。達人をそねみ、初心者を見下そうとする心。もっての他ではないか。本来、達人には近づき一言の教えをも乞い、また初心者を目にかけ育ててやるべきであろう。
そしてこの道でもっとも大事なことは、唐物と和物の境界を取り払うこと。(異文化を吸収し、己の独自の展開をする。)これを肝に銘じ、用心せねばならぬ。
さて昨今、「冷え枯れる」と申して、初心の者が備前・信楽焼などをもち、目利きが眉をひそめるような、名人ぶりを気取っているが、言語道断の沙汰である。「枯れる」ということは、良き道具をもち、その味わいを知り、心の成長に合わせ位を得、やがてたどり着く「冷えて」「痩せた」境地をいう。これこそ茶の湯の面白さなのだ。とはいうものの、それほどまでに至り得ぬ者は、道具へのこだわりを捨てよ。たとえ人に「上手」と目されるようになろうとも、人に教えを乞う姿勢が大事である。それには、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。しかしまた、自ら誇りをもたねば成り立ち難い道でもあるのだが。
この道の至言として、
わが心の師となれ 心を師とするな
(己の心を導く師となれ 我執にとらわれた心を師とするな)
と古人もいう。
(現代語訳 能文社 2009年)

心にずっしりときます。身が引き締まります。

そして千利休の七か条・・・利休七則(りきゅうしちそく)と言われるものですが、裏千家のホームページに最適なものがありました。こちらをご覧になられるのがベストです!

今日のお話、聞くことができてよかったです。非常に勉強になりました。ありがとうございました。

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