超一流になるのは才能か努力か?


超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?
著者:アンダース エリクソン,ロバート プール

内容紹介
◎勉強、仕事、子育て すべてに応用可能の鉄則◎著者のアンダース・エリクソン教授は、「超一流」研究の第一人者。
『タイム』『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ、各紙誌で取り上げられ、
世界中から大きな注目を集めた自身の研究結果の全てを、本書で初公開!チェス、バイオリン、テニス、数学……。
世界中のトッププレーヤーたちを、30年以上にわたって科学的に研究。
そして導き出された「超一流」への鉄則とは? 

内容(「BOOK」データベースより)
チェス、バイオリン、テニス、数学…。世界のトッププレーヤーを研究して分かった、ある共通の要素とは?ドイツのマックス・プランク研究所にいた著者は、研究所の目と鼻の先にあるベルリン芸術大学を訪れた。そこには、他の学生を圧倒する能力を持ち、世界的ソリストへの道を約束されたバイオリニストと、将来は教員になる道を選んだバイオリニストがいた。彼らの能力、ひいては人生を分けたものは一体何か。生まれつきの才能か、それとも積み重ねた努力か―。「超一流」の全てを解き明かすことになる、三〇年以上におよぶ研究が始まった。

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯] 努力で天才になれるとしたら?
[目的・質問] その努力・・どんな努力かをしって実践していきたいと思います。
[分類] 141.1:知能, 知能(心理学)

目次を見ても、非常に興味深いトピックが羅列されていて、興味を惹きます。

【目次】

■序 章 絶対音感は生まれつきのものか?
絶対音感は、その言葉の意味するところから、生まれつき持っている人と
持っていない人に分かれていると考えられてきた。ところが、幼少期にある練習をすれば、
ほぼ全員が絶対音感を身につけることができる、ということがわかってきた。

■第一章 コンフォート・ゾーンから飛び出す「限界的練習」
短期記憶では、7ケタの数字を覚えるのが限界。実は、それは誤った常識だ。
私と特別な練習を繰り返した学生は、最終的に82ケタも記憶することができたのだ。
限界を少し超える負荷を自身にかけつづける。そこに秘密がある。

■第二章 脳の適応性を引き出す
限界的練習によって、最も変化が起こるのは脳である。たとえば、バイオリニストや
チェリストは練習を積むうちに、演奏において最も重要な左手指を制御する脳の領域が
大きくなる。こうした脳の変化こそがあらゆる「能力」の正体なのだ。

■第三章 心的イメージを磨きあげる
チェスのグランドマスターは試合途中のチェス盤を数秒見るだけで、すべての駒の
配置を覚え、ゲーム展開を完璧に理解してしまう。超一流が、瞬時に膨大な情報を
処理するために活用しているのが「心的イメージ」だ。それは一体何なのか。

■第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?
超一流のバイオリニストと、音楽教員になる道を選んだバイオリニスト。両者を比べると、
超一流は18歳までに、平均で4000時間も多く練習を積んでいた。だがそのレベルに
到達するには、練習時間以外にもある重要な要素が必要だった。

■第五章 なぜ経験は役に立たないのか?
意外にも年長の医師は、若手の医師と比べて医療の知識に乏しく、適切な治療の
提供能力にも欠けていることがわかっている。楽にこなせる範囲で満足し、
同じことを繰り返していては、一度身につけたスキルも徐々に落ちてしまうのだ。

■第六章 苦しい練習を続けるテクニック
自身の限界を超える負荷をかけつづける限界的練習は、決して楽なものではない。
事実、超一流の中に、「練習が楽しい」と答える人など一人もいないのだ。
では、なぜそうした苦しい練習を続けられる人と、続けられない人がいるのだろうか。

■第七章 超一流になる子供の条件
心理学者のラズロ・ポルガーは、自身の子育てを通じて限界的練習の効果を実証した。
彼は三人の娘を全員チェスのトッププレーヤーに育てあげたのだ。
子供は超一流になるまでに四つのステップを踏む。その各段階で親がすべきことは何か。

■第八章 「生まれながらの天才」はいるのか?
わずか11歳で協奏曲を書いたモーツァルト。だがその「作曲」は、他人の作品の
焼き直しであったことがわかっている。「生まれつきの才能」で超一流に
なった人などおらず、またトッププレーヤーに共通の遺伝的特徴なども存在しない。

■終 章 人生の可能性を切り拓く
限界的練習は、すでに多くの分野で活用されている。プロのスポーツチームはもちろん、
ノーベル物理学賞を受賞したカール・ワイマンは、限界的練習をもとに新たな
学習メソッドを作りあげた。私たちの仕事、学習すべてに応用できるのだ。

では、読み進めて行きたいと思います。

傑出した人々には特別才能があり、それが彼らの能力の根幹を成していること。ただそれは「才能」と聞いてわれわれが一般的に思い浮かべるものとは違っていて、むしろそれよりはるかに強力であること。そしてなにより重要なのは、この才能はあらゆる人に生まれつき備わっていて、適切な方法によって引き出せるものであるということだ。(p.11)

このパラグラフにつきます。最後まで一貫してこれについての説明です。この本のイシューはまさにここになります。

脳の研究者は1990年代以降、脳には(たとえ成人のものであっても)それまでの想定をはるかに超える適応性があり、それゆえにわれわれは脳の能力を自らの意思でかなり変えられる、ということを明らかにしてきた。とりわけ重要なのは、脳は適切なトリガー(きっかけ)に反応し、さまざまなかたちで自らの回路を書き換えていくことだ。ニューロン(神経単位)の間に新たな結びつきが生じる一方、既存の結びつきは強まったり弱まったりするほか、脳の一部では新たなニューロンが育つことさえある。(p,17)

「たとえ成人であっても」というくだりは、何歳になっても思い立ったら吉日ではありませんが、新しいことにチャレンジ・・・やってみる価値はあります。

適応性の消滅はもっと一般的な現象、すなわち脳も体も大人より小さな子供のほうが適応性は高いという現象の一つであり、たしかにある種の能力は6歳、12歳、あるいは18歳まででなければ習得できない、あるいは習得が難しくなる。それでも脳も身体も成年期を通じてかなりの適応性を保つのであり、それによって大人も(たとえ高齢でも)、適切な訓練によってさまざまな新たな能力を身につけることができるのだ。(p.18)
数十年にわたる研究からはっきりとわかるのは、「才能に恵まれた」人の成功において遺伝的資質の影響がどれほどあるかにかかわらず、最大のカギを握るのは誰にでももれなく備わっている能力、すなわち人間の脳と身体の適応性であり、それを彼らは他の人々よりしっかり活用したということだ。(pp.18-19)

このあたりは教育者、指導者に懸かっていると言っても過言ではないかもしれません。もちろん本人の何が重要で、今何をしなければならないかを感覚的あるいは理論的に認識する力も必要になってくるのでしょうけど。

人間の潜在能力という貯水池は、生まれつき容量が決まっているという考えは成り立たなくなった。そうではなく、潜在能力という水瓶は、われわれが人生を通じて何をするかによって形が変わり、いくらでも容量を増やしていくことができる。学習は自らの潜在能力を引き出す手段ではなく、むしろ新たに作る出す手段なのだ。われわれは自らの潜在能力を生み出すことができる。(p.21)
さまざまな練習法の成果を分ける元も重要な点の一つが、人間の脳と身体の適応性をどれだけうまく使っているかである。(p.24)
限界的学習は学習者を「そこそこ上手」ではなく、それぞれの分野で世界トップクラスにするという明確な意図を持って開発された方法論で、これまで考案された中で最強の学習法と言える。(p.25)
あらゆる分野における最も有効かつ最強の練習法とは、人間の身体や脳の適応性を上手く活かし、以前は不可能だったことを成し遂げる能力を徐々に獲得していくものであるからだ。あなたが何らかの分野で本当に効果的なトレーニング法を開発したいと考えているなら(たとえば世界レベルの体操選手を育てる、医者に腹腔鏡手術の技術を教えるなど)、それは人間の身体や脳の変化を引き起こすのに何が有効か、有効ではないかを踏まえた手法でなければならない。真に有効な練習方法は、いずれも基本的に同じ仕組みに基づいているのである。(pp.37-38)
世の中にはさまざまな練習法があり、その有効性はまちまちだが、私が1990年代初頭に「限界的練習」と名付けた方法こそゴールド・スタンダードだと言い切れる。限界的練習は今日知られている中で最も効果的な手法であり、どにょうな分野であっても練習方法を考える際にはこの原則を用いるのが最善の道である。(pp.38-39)
ここで一つ、覚えておいてほしい重要な点がある。ひとたびそこそこのスキルレベルに達し、運転でもテニスでもパイを焼くのでも特に意識せずにできるようになってしまうと、そこで上達は止まるのだ。・・・一般的に、何かが「許容できる」パフォーマンスレベルに達し、自然にできるようになってしまうと、そこからさらに何年「練習」を続けても工場につながらないことが研究によって示されている。・・・自然にできるようになってしまった能力は、改善に向けた意識的な努力をしないと徐々に劣化していくためだ。(pp.41-42)
目的のある練習はその名が示すとおり、このような愚直な練習よりはるかに目的が明確で、よく考え、集中して行うものだ。その顕著な特徴は、次のようなものだ。(pp.44-50)

  1. 目的のある練習には、はっきりと定義された具体的な目標がある
    目的のある練習で一番大切なのは、長期的な目標を達成するためにたくさんの小さなステップを積み重ねていくことである。重要なのは「うまくなりたい」といった漠然とした目標を、改善できそうだという現実的期待を持って努力できるような具体的目標に変えることだ。
  2. 目的のある練習は集中して行う
    やるべき作業に全神経を集中しなければ、たいした進歩は望めない。
  3. 目的のある練習にはフィードバックが不可欠
    自分がやるべきことをきちんとできているのか、できていない場合はどこが間違っているのかを、私たちは把握しなければならない。一般的に、何に挑戦するかに関わらず、自分のどの部分がどう未熟なのかを正確に特定するためにはフィードバックが欠かせない。自分自身から、あるいは外部のオブザーバーからフィードバックがないと、どの部分を改善する必要があるのか、目標達成にどの程度近づいているのかがわからないのだ。
  4. 目的のある練習には、居心地の良い領域から飛び出すことが必要
    目的のある練習で最も重要なのはここかもしれない。自らをコンフォート・ゾーンの外へ追い立てることなくして、決して上達はありえない。自らのコンフォート・ゾーンから飛び出すというのは、それまでできなかったことに挑戦するという意味だ。新しい挑戦で日アック的簡単に結果がでることもあり、その場合は努力を続けるだろう。しかし全く歯が立たない、いつかできるようになるとも思えいなこともあるだろう。そうした壁を乗り越える方法を見つけることが、実は目的のある練習の重要なポイントの一つなのだ。
一般的に、壁を乗り越える方法は「もっと頑張る」ことではなく、「別の方法を試す」ことだ。テクニック、つまりやり方が問題なのだ。壁を乗り越えるのに一番良いのは、別の方向から攻めてみることで、教師やコーチの存在が役立つ理由の一つはここにある。・・・何かに上達しようとすれば、必ず壁にぶつかるだろう。どうにも前に進めない気がする、あるいは前に進む方法が分からないという状態だ。これは自然なことだ。一方、どうにも越えられない壁、迂回したり突き破ったりすることが不可能な壁というのは幻想である。私が長年の研究を通じて学んだのは、どんな分野においても絶対越えられない能力の限界に到達したという明確なエビデンスが示されるケースは驚くほど稀である、ということだ。むしろ挑戦者が単に諦め、上達しようと努力するのを止めてしまうケースが多いのである。(pp.50-53)
ただここで頭に入れておいておきたいのは、どのような段階に達しても挑戦を続け、さらに向上することは可能ではあるものの、必ずしも容易ではないということだ。目的のある練習に不可欠な集中力と努力を維持するのは大変なことであり、一般的には楽しくない。ここで意欲の問題がどうしても出てくる。苦しい練習を続けられる人がいのはなぜだろう。彼らが努力を続ける理由は何か。これは極めて重要な問いであり、本書を通じて何度も見ていくことになる。(p.53)
集中して練習に取り組み、自分のコンフォート・ゾーンから出ることによってある程度の上達は可能だが、それだけでは足りないということだ。懸命に努力するだけでは足りない。自分を限界まで駆り立てるだけでは足りない。練習や訓練については、これら以外にも見逃されがちな重要な要素がある。(pp.57-58)
脳に大きな負荷を掛けるほど、大きな変化が生じる(限界はあるが)。近年の研究では、すでに習得した能力の練習を続けるより新たな能力を獲得する方が、脳内の構造変化を引き起こすのにはるかに効果的であることが明らかになった。一方、あまりにも長時間負荷をかけ続けると燃え尽きてしまい、学習効果は低くなる。身体と同じように、脳でもコンフォート・ゾーンの「はるか上」ではなく、「少し外側」というスイートスポットで最も急速な変化が起きるのだ。(pp.76-77)
限界的練習の場合、目標は才能を引き出すことだけではなく、才能を創り出すこと、それまでできなかったことをできるようにすることにある。それにはホメオスタシスに抗い、自分のコンフォート・ゾーンの外に踏み出し、脳や体に適応を強いることが必要だ。その一歩を踏み出せば、学習はもはや遺伝的宿命を実現する手段ではなくなる。自らの運命を自らの力で切り拓き、才能を思い通りに創っていく手段となる。(p.85)
心的イメージとは、脳が今考えているモノ、概念、一連の情報など具体的な類は抽象的な対象に対応する心的構造のことである。(p.97)

 

心的イメージの細部には分野ごとに大きな違いがあるため、網羅的な定義をしようとするとどうしても漠然としたものになるが、突き詰めれば心的イメージとは事実、ルール、関係性などの情報がパターンとして長期記憶に保持されたものであり、特定の状況に迅速かつ的確に反応するのに役立つ。あらゆる心的イメージに共通するのは、短期記憶の制約を超える大量の情報を迅速に処理することを可能にするという点である。言うなれば、通常は短期記憶によって心的処理が受けるはずの制約を回避するための概念的構造と定義することができる。(p.99)
限界的練習の最大の目的は有効な心的イメージを形成することであり、またこれから見ていく通り、心的イメージもまた限界的練習において重要な役割を果たすのである。限界的練習に反応して我々の適応力豊かな脳で起こる重要な変化とは、より優れた心的イメージが形成されることであり、それが技術向上の新たな可能性に繋がるのである。(p.117)
自らのパフォーマンスを監視し、評価して、必要であれば心的イメージをさらに有効なものに修正する。心的イメージが有効であるほど結果も良くなる。(p.117)
これまでにさまざまな分野で実施されてきた多くの研究の結果を見れば、練習に膨大な時間を費やさずに並はずれた能力を身につけられる者は一人もいない、と言い切っても間違いないだろう。(p.141)

 

われわれの主張を簡潔にまとめると、限界的練習は他の目的のある練習と、次の二つの重要な点において異なっている。第一に、対象となる分野がすでに比較的高度に発達していること、つまり最高のプレーヤーが、初心者とは明らかに異なる技能レベルに到達している分野であることだ。・・・第二に限界的練習には、学習者に対し、技術向上に役立つ練習活動を指示する教師が必要だ。当然ながらそうした教師が存在する前提として、まずは他人に伝授できるような練習方法によって一定の技能レベルに到達した個人が存在しなければならない。(pp.142-143)
この定義によってわれわれは、個人が自らの技能を向上させるために必死に努力する「目的のある練習」と、目的に加えて情報が与えらえる練習とを区別している。特に重要なのは、限界的練習は最高のプレーヤーの優れた技能と、彼らがそれを獲得するために実践していることについての知識を踏まえ、それを指標としていることだ。要するに、限界的練習には次のような特徴がある。(pp.143-145)

  • 限界的練習は、すでに他の人々によって正しいやり方が明らかにされ、効果的な訓練方法が確立された技能を伸ばすためのものである。練習のカリキュラムは、エキスパートの能力とその開発方法に通じた教師あるいはコーチが設計し、監督する。
  • 限界的練習は学習者のコンフォート・ゾーンの外側で、常に現在の脳欲をわずかに上回る課題に挑戦し続けることを求める。このため限界に近い努力が求められ、一般的に楽しくはない。
  • 限界的練習には明確に定義された具体的目標がある。通常は対象とする技能のいくつかの側面を向上させることを目標にとし、漫然と技能全体の向上を目指すものではない。まず全体的な目標を決めてから、教師もしくはコーチがいずれ目標とする大きな変化につながるような小さな変化を一つずつ達成していく計画を策定する。対象とする技能のいくつかの側面が向上していくことで、学習者は訓練によって自らの技能が向上していることを確認できる。
  • 限界的練習は意識的に行う。つまり学習者には全神経を集中し、意識的に活動に取り組むことが求められる。単に教師やコーチに従うだけでは足りない。学習者自身が練習の具体的目標に意識を集中し、練習の成果をコントロールするのに必要な調整ができるようにする。
  • 限界的練習にはフィードバックと、そのフィードバックに対応して取り組み方を修正することが必要だ。トレーニングの初期にはフィードバックの大部分は教師やコーチが提供するもので、上達ぶりを評価し、問題を指摘したりその解決方法を教えたりする。ただ練習時間と経験が増えるのにともない、学習者は自らを評価し、失敗に気付き、必要な調整を行う方法を身につけなければならない。このような自己評価を実践するには、有効な心的イメージが必要である。
  • 限界的練習は有効な心的イメージを生み出すと同時に、それに影響を受ける。技能の向上は心的イメージの改善と密接に関連している。技能が向上するにつれて心的イメージも詳細で有効なものになっていき、それがさらなる技能の向上を可能にする。心的イメージは練習の時も本番中も、自分がうまくできているかどうかを判断する材料となる。心的イメージは正しい方法を指し示し、ミスをしたときにはそれに気づいて修正することを可能にする。
  • 限界的練習では、すでに習得した技能の特定の側面に集中し、それを向上させることでさらなる改善や修正を加えていくことが多い。時間をかけて一歩ずつ改善を積み重ねていくことが、最終的に傑出した技能の獲得につながる。新たな技能は既存の技能の上に積み重なっていくことから、初級者には教師が基本となる技能を正確に教え、上達してから基本をやり直す必要が生じないようにすることが重要である。
アート・タロックは、企業の日常業務を目的男なる練習あるいは限界的練習の機会に変える方法を考えることにした。・・・これが一回限りの試みで終わると、話し手は有益なアドバイスを得られるかもしれないが、一度の練習による上達などたかが知れているので、どれだけ効果があったかはよくわからないだろう。しかし会社がこれをすべての社内会議で行うようにルール化すれば、従業員はさまざまなスキルを着実に伸ばしていくことができる。(pp.171-172)
「仕事しながら学習法」のメリットの一つは、社員が練習する習慣を身につけ、練習について考えるようになることだ。社員が定期的に練習することの重要性に気づき、さらにそれによってどれだけ上達できるかを理解すれば、日々の業務の中で練習活動に仕立てられるものがないか、自ら機会を探すようになる。やがて練習そのものが日常業務の一部となる。それが期待通りに効果を上げれば、結果として普段の日は仕事だけ、練習はコンサルタントが来て研修をする日など特別な機会だけという一般的な認識とは全く異なる考え方が醸成されるはずだ。この練習重視の考え方は傑出したプレーヤー、すなわち常に練習しているか他の能力を高める方法を模索している人々のそれに非常に近い。(p.173)

講義やセミナーを受けてもほとんど何の効果もないと言っています。その理由は次の通りです。

限界的練習の観点に立てば、何が問題かは明らかだ。講義やミニコースなどに参加しても、フィードバックを得たり、新しいことに挑戦してミスを犯し、それを修正することで徐々に新たな技能を身につけていく機会はまったくと言ってよいほどない。(p.187)
何より重要なのは、心的イメージに関わる問題だ。限界的練習の主目的の一つは、対象が何であれ、自分のパフォーマンスの指針となる有効な心的イメージをひとそろえ習得することである。一人で練習していると、自分のパフォーマンスに目を光らせ、どこがおかしいかを判断するのに自分自身の心的イメージに頼らざるを得ない。不可能ではないが、経験豊富な教師に見てもらい、フィードバックをもらうのと比べてはるかに難しく、効率が悪い。練習を始めたばかりの段階では、心的イメージがまだあやふやで不正確であるため特に難しい。しっかりとしたイメージの基礎ができてしまえば、その上に新たな、より有効なイメージを独自に作っていくことができる。(p.200)
目的のある練習あるいは限界的練習の最大の特徴は、できないこと、すなわちコンフォート・ゾーンの外側で努力することであり、しかも自分が具体的にどうやっているか、どこが弱点なのか、どうすれば上達できるかに意識を集中しながら何度も何度も練習を繰り返すことだ。職場、学校、趣味など日常の生活の中ではなかなかこのような意識的反復訓練をする機会がないので、上達するには自分で機会を作らなければならない。(pp.211-212)

下記に英語を伸ばすコツが書かれています。多読乱読より一本集中ということです。

英語力を伸ばそうとして、英語で制作された字幕付きの映画を一本選び、繰り返し観た学生もいるという。最初は字幕を隠してセリフを理解しようと努め、それから字幕を見て理解が正確であったかを確かめた。同じ会話を繰り返し聴くことで、毎回違う映画を大量に観た場合よりはるかに速く英語の聞き取り能力が向上したという。ここでは、学生たちがただ同じことを繰り返していたのではない点に注目してほしい。彼らは毎回自分が何を間違えたかに注意を払い、それを直していたのである。これは目的のある練習だ。やみくもに同じことを何度も繰り返すのではまったく意味がない。反復練習の目的は自らの弱い部分を見つけ、それを集中的に強くしていくことにあり、そのためにはこれだという方法が見つかるまで試行錯誤する必要もある。(p.213)
先生がいなくても効果的に技能を高めるには、三つの「F」を心掛けるといい。フォーカス(集中)、フィードバック、フィックス(問題を直す)である。技能を繰り返し練習できる構成要素に分解し、きちんと分析し、弱みを見つけ、それを直す方法を考えよう。(p.214)
「心的」という言葉を冠していても、心的イメージを獲得するには心の中だけの分析ではまるで足りない。有効な心的イメージは、傑出したプレーヤーの技を再現しようとして失敗し、なぜ失敗したかを突き止め、もう一度挑戦し、それを何度も繰り返すことによってのみ形成される。優れた心的イメージは理論だけでなく行動と密接に結びついており、またわれわれが求める心的イメージを生み出すのはオリジナル作品を再現しようとする長期間にわたる練習の積み重ねなのだ。(p.216)
目的のある練習あるいは限界的練習を長期にわたって継続できる人にも同じようなことが言える。彼らもたいてい練習を継続するのに役立つ様々な習慣を身につけている。私は一つの目安として、特定の分野で能力を向上させたいと思う人は毎日1時間以上、完全に集中して練習するべきだと思っている。そんなたゆまぬ訓練を可能にする意欲を維持できるかは、二つの要素にかかっている。続ける理由とやめる理由だ。初めはやりたいと思っていたことをやめてしまうのは、やめる理由が続ける理由に勝ってしまったからだ。つまり意欲を維持するには、継続する理由を強くするかやめる理由を弱くすればいい。意欲の維持に成功したケースには、たいてい両方の要素が含まれている。(p.227)
若いころのベンジャミン・フランクリンは哲学、科学、発明、著述、芸術などありとあらゆる知的探求に関心があり、そのすべてにおいて自らの成長を促したいと考えた。そこで21歳の時、フィラデルフィアでもとびきり才気煥発な11人を集めて「ジャントー」という名の相互啓発クラブ(「秘密結社」の意味があり、のちに発展してアメリカ哲学協会となった)を作った。メンバーは毎週金曜の晩に集まり、互いの知的探求を後押しした。・・・このクラブの目的の一つは、メンバーに毎回提示される知的テーマに触れる機会を与えることだった。フランクリンはこのクラブを作ったことで、フィラデルフィアで最も興味深い人々に頻繁に会う機会を得たばかりでなく、こうしたテーマを深く学ぶ意欲をさらに高めることができた。毎週少なくとも一つは興味深い問いを発しなければならないこと、また他のメンバーの質問に答えなければならないことを思うと、その時代の科学、政治、哲学において最も重要で知適性劇に富むテーマについて読み、考えなければという思いが一段と強まったはずだ。(pp.234-235)
この手法はたいていの分野に応用できる。同じテーマに興味を持っている人を集める、あるいは既存のグループに加わり、そのグループの仲間意識や共通の目標を使って自分の目標を達成する意欲を高めるのだ。・・・ただ一つ重要なのは、グループの他のメンバーもあなたと同じような上達の目標を掲げているか確認することだ。・・・もちろん限界的練習は本質的に孤独な営みだ。考え方の似た仲間を集めて支援や激励をもらうのは構わないが、それでも上達できるかどうかは自分一人でどんな練習をするかにかかっている。何時間もそんなふうに集中して練習する意欲をどうすれば維持できるのか。(pp.235-236)
限界的練習は、絶対に自分には手が届かないと思っていたさまざまな可能性への扉を開いてくれる。その扉を開けようじゃないか。(p.239)
クリエイティビティは結局、どこから生まれるのだろう。そもそも限界的練習とはまるで別の次元の話ではないかのか。限界的練習はつまるところ、他の人たちがすでに身に付けた能力を自分も獲得するため、他の人々が考案した方法に従って練習することに過ぎないのではないか、と思う人がいるかもしれない。しかし、私はそうは思わない。数多くの独創的天才を研究してきた経験から言うと、傑出したプレーヤーが自らの分野の限界を押し広げ、新たなものを生み出すためにしていることは、彼らがまずその限界に到達するためにしてきたことにかなり近いからだ。(p.269)

 

しかし科学をはじめ、さまざまな分野で他を圧倒するような独創的成功を収めた人々の研究では、クリエイティビティは長期間にわたって努力と集中力を維持する能力と切り離せない関係にあることが明らかになっている。それはまずある分野のエキスパートになるのに必要な、限界的練習の構成要素と完全に一致している。たとえばノーベル賞受賞者の研究では、一般的に最初の論文を発表するのは同年代の研究者より早く、その後も生涯にわたって同分野の他の研究者を大幅に上回る数の論文を発表し続けることが明らかになった。要するに誰よりも努力したわけだ。(p.271)
クリエイティビティには、それまで誰も見たことも経験したこともないようなものを生み出すという性質から、神がかり的あるいは天賦の才といったイメージがついてまわる。ただある分野のエキスパートになるのに必要な集中力や努力といった要素が、誰も到達したことのない領域を切り拓くパイオニアの業績にも色濃く表れているのは間違いない。(p.271)
私の人生における最も刺激的な経験の一つが、のちにノーベル賞を受賞したハーバート・サイモンとともに研究をしたことだ。研究チームの誰もが、自分たちの分野の最先端に身を置いていることを実感し、その場にいられる幸運をかみしめていた。芸術に革命を起こそうとしていた当時の印象派の画家たちも、同じような感覚を抱いていたのではないか。たとえ自らの分野の最先端に到達できなくても、自分の人生を主体的に選び、能力を高めていくという挑戦を楽しむことは誰にでもできる。限界的練習が当たり前のものとなった世界では、われわれはより強い意欲と満足感を抱いているはずだ。自らを向上させようと努力しているとき、われわれは最も人間らしさを発揮していると言えるのではないか。他の生き物と違い、人間は意識的に自らを変え、思い通りに自らを向上させていくことができる。これこそ現存する、あるいはかつて存在した他のあらゆる種とわれわれとの違いである。(pp.333-334)
つまるところ、急速な技術進歩によって仕事、余暇、生活環境が変化しつづける世界に対する唯一の解は、自らの成長は自らが決めるものであることを理解し、それを実現する方法も心得て人々の社会を創ることかもしれない。われわれが限界的練習と、それがもとらす未来を自己決定する力について学んできたこと、これからも学ぶことの究極の成果が、おそらく「ホモ・エクサセンス」の世界なのだろう。(p.336)

最終的に「鉄則」としては下記にまとめられています。要は、日本のことわざでいうところの「好きこそものの上手なれ」というところに行きつく、そんな感じです。ですが、それを10の鉄則に分解してくれていることで、実践しやすくなります。

 

鉄則1:自分の能力を少しだけ超える負荷をかけつづける
鉄則2:「これで十分」の範囲にとどまっていると、一度身につけたスキルは落ちていく
鉄則3:グループではなく、一人で没頭する時間を確保する
鉄則4:自分の弱点を特定し、それを克服するための課題を徹底的に繰り返す
鉄則5:練習を「楽しい」と感じていては、トッププレーヤーにはなれない
鉄則6:これ以上集中できないと思った時点で練習や勉強はうちきる
鉄則7:上達が頭打ちになったときは、取り組むメニューを少しだけ変えてみる
鉄則8:即座にフィードバックを得ることで、学習の速度は劇的に上がる
鉄則9:オンの時間とオフの時間をはっきり分け、一日のスケジュールを組む
鉄則10:どんな能力も生まれつきの才能ではなく、学習の質と量で決まる

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