サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠


サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠
著者:ジリアン テット

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯] 一般的な人にはあまり売れないのでは・・・と思いつつ。
[目的・質問] 高度専門化社会の罠とは何ぞや?

まずは、謎めいた言葉「サイロ・エフェクト」ですが・・・

高度に複雑化した社会に対応するため組織が専門家たちの縦割りの「サイロ」になり、その結果変化に対応できない。その逆説を「サイロ・エフェクト」という(帯)

なるほど、確かにそれはあります。そういうところから、メーカーなどもマイスターやマエストロといった制度を作って、工業化社会のアンチテーゼとしての手作り・こだわりという商品を高額で販売したりもしていましたね。

 

現在社会のパラドクスは、ある部分ではきわめて密に統合化が進む一方で、他の部分ではひどく細分化が進んでいることだと思い至った。経済ショックはかつてないほどの勢いで伝播するようになった。しかしわれわれの行動やモノの考え方は、依然として小さなサイロにとらわれている。(P.8)

まさにそうだと思います。世の中、サイロです。

2008年の金融危機からひとつ明らかになったのは、金融や経済で重要なのは数字だけではないということだ。文化も同じように重要である。人がどのように組織をつくり、社会的ネットワークを形成し、世界を類別するかといったことは、政府や企業や経済が機能する仕組みに決定的に大きな影響を与える。だからこそ、こうした文化的側面をよく理解するのが大切であり、そこで役に立ちそうなのが人類学だ。人類学者の研究は僻地の非西欧文化の実体を明らかにするだけでなく、西欧文化を理解する上でも貴重な示唆を与えてくれる。(P.9)

サイロができれば、サイロごとのモノの見方なども形成されるでしょうし、部分最適化への道を進んでいき、全体が歪んでいくように思います。レヴィ=ストロースの「プリコラージュ」の概念とも結びついてくるような気がします。

われわれが世界を区分する際のしきたりは、正式に定義あるいは明文化されていないことも多い。そうではなく無意識のうちに自らをとりまく環境から吸収する、複雑に入り組んだ規範、伝統、慣習などから生まれるのだ。つまりわれわれが世界を分類する際に使うパターンの多くは、文化的に継承するものだ。それらは意識的思考と本能の境界上にある。文化がわれわれにとって「普通」であるのと同じように、こうしたパターンも自然なものに思える。あまりに自然であるために、その存在に気づくことも、また自らの世界観を規定するような公式および非公式な区分法があるという事実を意識することさえめったにない。(P.34)

未知だった「美しいと感じた風景」が既知になっていくとそれはただの「景色」と化してしまう。まさにそういうことなのでしょう。それぞれのサイロはそれぞれのサイロでの問題解決のために組織化されたのだろうが、そのもんだ解決の目的性も時が経つと忘れられ、そのサイロがその範囲である意義なども忘れられ、サイロであるがゆえの意味もなくなっていき、全体最適性の整合性を作ることが困難になっていくのでしょう。

ブルデューは、学問の境界やレッテルにこだわるのはくだらないと感じていた。どのような学問分野についても専門家や領域と考えることを拒み、学者を異なる部族に分けて競わせる大学の傾向を苦々しく思っていた。ブルデューにとって、「人類学」は独立した学問分野やそのレッテルというより、生き方そのものであった。それは経済学、社会学など他分野の視点と組合せ、世界をより深く理解勝とする者すべてが取り入れることのできる知的プリズムあるいは探求の方法である。(P.68)
大学に在籍しなくても、また博士号を持っていなくても人類学者として活動することはできる。必要なのは謙虚さと好奇心を忘れず、積極的に質問、批判、探究、議論をする姿勢、そして新鮮な目で世界を見て、自分が当然と思っている分類システムや文化的パターンについて思いをめぐらすことだ。アメリカの人類学界の第一人者であったマーガレット・ミードはかつてこう語った。「人類学に必要なのは、自分が想像すらできなかったことを見聞きし、驚きと感嘆を持って記録するオープンマインドな姿勢である。」(P.68-69)

まさに僕の研究の目指すところもそこです。ミクロだが、マクロの視点を忘れず。アカデミックであるが、実学的視点を忘れず。短期的であっても、長期的な視点は忘れず。対立するなかで、それを上位概念でもって統制されているという状態・・・・それが理想です。自分の進む道は、そういったサイロとサイロの歪を解決するようなそんな潤滑油を企業に注ぎ込むようなお助けマンになりたいって思いが強くなっています。そのためにももっといろいろな組織を知らないといけません。

さて、著者はこのあといくつかの企業事例を展開するのですが、この企業エピソードを通じて、サイロ・シンドロームの弊害を緩和するためのアイデアを示せたと思うと書いています。

一つめの教訓は、フェイスブックがしたように、大規模な組織においては部門の境界を柔軟で流動的にしておくのが好ましいということだ。・・・二つめの教訓は、組織は報酬制度やインセンティブについて熟慮すべきだということだ。各自の所属するグループの業績だけに基づいて報酬が決まり、しかもグループ同士が社内で競争関係にあると、グループ同士が協力する可能性は低い。・・・三つめの教訓は、情報の流れも重要であるということだ。・・・四つ目の教訓は、組織が世界を整理するのに使っている分類法を定期的に見直すことができれば、願わくは代替的な分類システムを試すことができれば、大きな見返りがあるということだ。・・・五つめの教訓は、サイロを打破するにはハイテクを活用するのも有効である。(P.317-320)
サイバースペースや現実世界で既存の分類システムに疑問を持つのに不可欠な想像力はどうすれば手に入るのか。一つの選択肢は、人類学の基本的考え方を拝借することだ。・・・第一に、人類学者は人々の生活をボトムアップの視点で見ようとする。・・・第二に、人類学者はオープンマインドで物事を見聞きし、社会集団やシステムのさまざまな構成要素がどのように相互に結びついているかを見ようとする。・・・第三に研究対象の全体を見ようとし、その社会でタブーとされている、あるいは退屈だと思われているために人々が語らない部分い光を当てる。社会的沈黙に関心を持つのだ。第四に、人々が自らの生活について語る事柄に熱心に耳を傾け、それと現実の行動を比較する。人類学者は建前と現実のギャップが大好きだ。第五に、人類学者は異なる社会、文化、システムを比較することが多い。最大の理由は、比較することで異なる社会集団の基礎となるパターンの違いが浮かび上がるからだ。これは自分のものとは異なる文化を研究するときに有益なアプローチだ。また自分の属する文化を理解しようとするときのも非常に価値がある。別の世界に身を投じてみると、「他者」について学べるだけでなく、自らの生き方を新たな目で見直すことができ、視界が開けてくる。こうしてインサイダー兼アウトサイダーになるのだ。六つ目の、そして最も重要な特徴は、人類学は人間の正しい生き方は一つではない、という立場をとることだ。(P.321-322)
インサイダー兼アウトサイダーになると、柔軟さを失った境界の危険性を認識できるようになる。境界を自在に引き直したり、まったく違う世界を思い描いたり、科学者のジョン・シーリー・ブラウンが言うように分類システムや組織の「縁(へり)」でイノベーションを生みだしたりする想像力が湧いてくる。(P.323)
本書の重要なメッセージを一つ挙げるとすれば、われわれの世界は効率化を追求しすぎるとかえってうまく機能しなくなる、ということだ。専門化したサイロで活動するほうが、短期的には効率的に思えるかもしれない。しかし細分化されたスペシャリスト的行動パターンが支配する世界では、往々にしてリスクやチャンスが見逃される。人類学者のピエール・ブルデューの言う「ハビトゥス」を無批判に受け入れていると、人生は貧しくなっていく。(P>325-26)
21世紀の複雑な世界に生きるわれわれは、みな厄介な課題を突き付けられていると言える。心理的、構造的サイロにコントロールされるのか、あるいは自らサイロをコントロールするのか。どちらを選ぶかは自分次第である。そしてサイロをコントロールする第一歩は、本当に簡単なことだ。自分が日々、無意識のうちに身のまわりの世界をどのように区切っているのか、思いをめぐらせてみるのである。それから想像力を働かせ、別の方法はないか考えてみよう。(P.326)

後半は、メモしておきたいことが目白押しで、引用多くなりました。僕自身、大学院に入って、リベラルアーツを学ぶ中で、人類学には非常に興味を持ってレヴィ=ストロースについても何冊か読んでみたりしましたが、いま改めてもっとその深みを腹に落として視野を広げ、視座を高めることで、ミクロ&マクロで物事を見ることができるように、さらにさらに修行をしていきたいと考えています。

内容的には、ずっと感じていたことですが、ここまで人類学を強調している思い切りの良さは気持ちよかったです。ありがとうございました。

 

 

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