著者:田中 泰延 …
もともとEVERNOTEに残していた自分の備忘録のブログ化というのが発端でしたが、少し発信めいた意見を書いたり中途半端になってきているような感じでした。改めて、まさにこのタイトルではないですが「残したいものを書いてきた」ものです。2020年も自分の読みたいものを書いていきたいと思います。(Inobe.Shion) |
内容紹介
★Amazonランキング「本」総合1位★(2019/8/19〜20) 「バズる記事を書きたい」 そんな「技術」を学ぼうとする人は、出発点から間違っている。 事実の中に、あなただけの発見を見出し、調べて、自分に向けて書く。 電通コピーライターとして24年、自分が読みたいものを書くために Web記事500万PV超、 書くことは、たった1人のベンチャー起業。 「自分が読みたいものを書く」ことで、実際に「現実が変わる」のだ。そんな話を始めたい。 全く新しい文章講義、開講です。 出版社からのコメント はじめに 自分のために書くということ -書いたのに読んでもらえないあなたへ 序章 なんのために書いたか 第1章 なにを書くのか 〜ブログやSNSで書いているあなたへ〜 第2章 だれに書くのか 〜「読者を想定」しているあなたへ〜 第3章 どう書くのか 〜「つまらない人間」のあなたへ 第4章 なぜ書くのか 〜生き方を変えたいあなたへ〜 おわりに いつ書くのか。どこで書くのか。 |
ほとんどの人はスタートのところで考え方がつまづいている。最初の放心が間違っている。その前にまず方針という感じが間違っている。出発点からおかしいのだ。偉いと思われたい。おかねが欲しい。成功したい。目的意識があることは結構だが、その考え方で書くと、結局、人に読んでもらえない文章ができあがってしまう。(pp.33-34) |
私のこのブログも最初はただ書きたいことを書いていたのですが、言われてみれば目的が中途半端になってきていることに気づき、背筋がシャンとするような感じがしました。
ネット上で読まれている文章の9割は「随筆」。では、「随筆」とはなにか。・・・わたしが随筆を定義すると、こうなる。「事象と心象が交わるところに生まれる文章」・・・事象とはすなわち、見聞きしたことや、知ったことだ。世の中のあらゆるモノ、コト、ヒトは「事象」である。それに触れて心が動き、書きたくなる気持ちが生まれる。それが「心象」である。その2つがそろってはじめて「随筆」が書かれる。人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。(pp.53-55) |
「あなたが書く分野はなんなのか?」という定義に無自覚な人は多い。事象よりのものを書くのならば、それは「ジャーナリスト」「研究者」であり、心象よりのものを書くのであればそれは「小説家」「詩人」である。それらは、どちらもある種の専門職というべきものである。そのどちらでもない「随筆」という分野で文章を綴り、読者の支持を得ることで生きていくのが、いま一般に言われる「ライター」なのである。(p.59) |
単語一つひとつについて足場を固めていかないと、長い文章を書いたときに、曖昧なままの言葉を積み重ねてしまうことになる。また、一つひとつの単語の定義を忘れると、自分が今書いているものがなんなのかが分からなくなってくる。「事象と心象が交わるところに生まれるのが随筆」という定義を見失って映画を評論すると、事象寄りに振れてしまえば映画のあらすじばかり書く状態に陥るし、心象よりだと感想だけ書いて終わっていまう。定義をしっかり持てば、自分がいま、なにを書いているかを忘れることはない。(p.63) |
モノを書く上で、非常に大切な前提です。このブログで私が書いている理由は以下のような要素が複雑に絡み合っています。
- 本から学んだことを自分の備忘録とすること
- ここは大切だと思ったところなので読者の皆さんもしっかりチェックして欲しいという共感の気持ち
- 著者へのレスペクト
- 学んだことに対しての御礼
- ブログ読者にこのを読んでみてほしいという宣伝
それらが自分自身の本から感じた感動度に応じて、絶妙にバランスされながら仕上がっているのではと感じています。(かっこよく言うと・・・・実際は、気の向くままに・・・なんですが。)
「定義をしっかり再構築しよう」というのは、言い換えれば「疑ってかかれ」ということでもある。言葉に対する思考の最初になくてはならないのは、「ことばを疑うこと」だ。・・・その単語に自分がはっきりと感じる重みや実態があるか。わけもわからないまま誰かが使った言葉を流用していないか。・・・自分自身がその言葉の実体を理解することが重要で、そうでなければ他人に意味を伝達することは不可能なのだ。(pp.65-67) |
広告は商品の売りたい点、企業の伝えたい点をできるだけ効率よく伝えることにその価値がある。となると、そこで伝えるべきことは、お互いがよく知っている言葉で共有うされると効率が良いはずだ。そこに、少しだけでいいので別角度からの視点があればいい。つまり、良い広告コピーとは、わかり易い言葉で書かれているが、ちょっと発見があるもの、ということになる。(p.81) |
読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。自分で読んで面白くなければ、書くこと自体が無駄になる。(p.99) |
「どう書くのか」を要約すると、こうなる。
事象に出会ったとき、 要約すれば4行だった。(p.195) |
平凡社の『世界大百科事典』第2版で、「貨幣」の定義を引いてみよう。
これを読めば、まさに貨幣と言葉の機能は同じだというがわかる。・・・これら3つの特徴をみると、言葉をうまく使って人心を掌握する人と、お金をうまく使ってお金持ちになる人、両者はツールとしての使い方がそっくりであることがわかる。大切なことは、経済も、言葉も、ゼロサムゲームではないということだ。・・・言葉とは、相手の利益になる使い方をすれば、相手の持ち物も増え、自分の持ち物も増える道具なのだ。書いたら減るものではない、増えるのである。そのことを忘れずに書き、流通させ、交換させられれば、書き手はさらに価値のある言葉を手に入れることになるだろう。(pp.227-231) |
自分がまず面白がれるものであること。これは、ビジネスアイデアでも文章を書くことでも全く同じだ。それが世の中に公開された時点で、あくまで結果として、社会の役に立つか、今までになかったものかがジャッジされる。自分の正しさが証明されるかどうかだ。(p.235) |
「書く」という行為について、今までそこまで考えてなかったことに気付かされました。最近、「言葉」については、ここでこの言葉を使うべきかということに気を遣うようになっていましたが今後ますますその事に気を配ることになりそうです。