著者:千葉 雅也…
非常に刺激的な著作です。ものごとの新しい見方を提供してくれると言っても過言ではないかもしれません。切れ味の鋭い書です。おすすめです。(Inobe.Shion) |
メディア掲載レビューほか 哲学者・千葉雅也「世間に迎合も孤立もせずに生きていくためには“勉強”が必要だ」博士論文を改稿した『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』でデビュー、翌年、ツイッターでの140字内の短文考察を再編成した『別のしかたで ツイッター哲学』が話題を呼び、3冊目の単著となる本書は何と「自己啓発本」。発売2カ月を待たずに5刷4万5000部と快進撃中だ。「“勉強する”ということを面白くポジティブに言えないかな、と思ったんです。雲行きの怪しい今の世の中で、世間に迎合も孤立もせずに生きていくためには勉強が必要です」日常の中で「周りのノリ」に合わせることが苦しくなってきたら勉強を始める好機。そして勉強を始めると必ずますます「ノリが悪い人」になる。「日本は同調圧力が強いけれど、たとえば大学教育は安易に同調させないようにするための教育だし、安易に同調しないということが知性の正しいあり方なんです」勉強を進めるにあたり「ツッコミ=アイロニー」と「ボケ=ユーモア」の二方向の方法を説くが、喩えが面白い。「アイロニー」とは、ケーキ・バイキングで盛り上がっている時、感想を問われ「おいしいって答え以外、許されてるの?(笑)」と返し、場を凍らせること。「ユーモア」とは、AとBの恋バナで皆がAを道徳的観点から槍玉にあげている最中「音楽なんじゃない?」と、恋愛の起伏を音楽にたとえる発言をし、周りをポカンとさせること。根拠を疑い見方を変えることで、状況を相対化し、慣れ親しんだ環境からはずれていく。 しかし、勉強で本当に大切なのは次の段階だ。その時の自分の趣味、嗜好、興味、必要等を手掛かりに小さな範囲を決めて新しい物事を学び、少し変身して、また皆のところへ「ノリを良くもできる人(来たるべきバカ)」として戻っていく。その後も脱出と帰還を繰り返すこと。 「締切がないと仕事が終わらないように、範囲を決めないと勉強は進まない。まずこの3冊の本を読み較べる、とか最初の範囲を狭くとることが大事。狭い範囲設定がむしろ生産性に繋がるという発想です」 社会人の論文指導をしていることも執筆を後押ししたかもしれない。 「勉強とは新しい言葉の使い方を学ぶこと。キャリアを積んだ方々は言葉遣いと人生がぴったりくっついている。それを引きはがすにはどうしたらいいか、工夫していますから」 評者:「週刊文春」編集部 (週刊文春 2017.06.08号掲載) 勉強とは、自己破壊である 千葉雅也『勉強の哲学』は、こんな刺激的なフレーズではじまる。『動きすぎてはいけない』で注目された気鋭の哲学者は、自己啓発系勉強本にありがちな、現状の自分に効率よく新しい知識やスキルを付け加える方法などは紹介しない。 まずは、〈勉強とは、別の考え方=言い方をする環境へ引っ越すことである〉として、自分を取り囲んできた環境(会社や学校や友人たち)に順応する言語ではなく、興味を持って得た新たな言語をとにかく使ってみることを勧め、〈深く勉強するとは、言語偏重の人になることである〉と説く。そうして言葉を玩具のように操作できるようになれば、周囲から「ノリ」が悪いと訝られようが、自由に考えられるようになる。そもそも勉強する目的はこれまでの環境から自由になるためなのだから、周囲から浮いても気にしない。 さらに千葉は、〈ノリの悪い語りが、自由になるための思考スキルに対応している〉と喝破し、アイロニーとユーモアという思考方法について解説。その上で、私たちひとりひとりの個性=「享楽的こだわり」にも言及する。 ここまでがこの勉強論の原理編で、後半は実践編となる。どのように勉強を開始すればいいか、千葉は自身の体験もまじえて語り、専門分野への参加の手続きも詳しく案内してくれる。哲学者らしく厳密な言葉によって書かれているが、斬新な視点と丁寧な論旨の展開に何度もうなずき、私は読後、勉強のもつ危険な魅力にあらためて興奮した。 もうお気づきのとおり、この本を読むことは、そのまま哲学の勉強にもなっている。 評者:長薗安浩 (週刊朝日 掲載) なぜ人は勉強するのか? |