平成から令和、そして私

いまでもはっきりと覚えています。

金曜日にバンドの練習があって、そのままメンバーのところで泊まり、そして朝からテレビ大阪のバロムワンの再放送を見るというのが定番の流れ。

その日もそのつもりで朝起きると、バロムワンがやっていたのかどうか記憶ははっきりしませんが、確か「昭和天皇のご容態が極めて危険」というような報道があったように記憶しています。

そう、その日とは、昭和64年1月7日です。そしてそのまましばらくして、ご崩御の報道があったように記憶しています。

その日は、そのままバイト先のレコード店に行きましたが喪に服し、BGMもそういったものをずっと流していました。

その後、バンドも紆余曲折しながら、プロを目指して濃いメンバーを集め、とあるバンドを結成しました。そのバンドはラジオやテレビにも出させていただきましたし、大阪城公園の城天(シロテン)で演奏したりもして、ファンも少しついてきましたが、残念ながらプロの夢は道半ばで途絶え、メンバー全員社会に出て行きました。

そんな中、メンバーそれぞれで、それぞれの音楽との距離を置きながら、それぞれの人生を歩んできました。

私は、その時の挫折がトラウマであり、後悔であり、コンプレックスでもあったので、もともと真面目だったと思うのですが、20代は資格マニアでいろいろな資格を取得しました。

その後、30代は子育て(息子と娘)の時代でもあり、企業でも重要な仕事を任され、仕事に精進し、邁進しました。

40代に入り、子どもたちも中学校に入学、それぞれが部活に一所懸命でその時から自分の時間ができ始めたことと合わせて、今の恩師との出会いもあって、社会人大学院に通い始めました。

そして、2年でMBAを取得し、そのまま博士所得を目指して後期課程に進学し、6年計画のいま4年目を迎えています。

さぁ、今日で平成も終わろうとしています。新しい令和に向けて私はどんな私になるのだろう。

人生100年時代の中で、自分がしたいことは一体何だろうか?それはずっと変わっておらず、「人を驚かすこと」それを探し続けて、見つけては驚かす・・・、それこそが私のしたいことです。そこから、このドメインの amazing-quest.com というのも採用しています。

そしてそれをするために、最終的にどうならなければならないか。

①すごいことを思いつけるようになるクリエイティビティの向上
②その思いついたことを社会に反映していけるポジション

この二つを実現しなければなりません。

①は博士号を取得のために努力し自らを高めていととその過程を通じて幅広い知識の取得、人的ネットワークの獲得と維持。

②については、社会的に影響力を発揮できる企業での活躍。具体的にはBtoC企業でマーケティング責任者としていろいろなAMAZINGな施策をプロデュースしていくこと。

これらを令和3年までに体制の確立を図る。そしてそこから更に広い幅と深さのあるポジションを目指していく。

改めて平成の終わり、令和の始まりに際して、そのことを自分の心にしっかりと刻み付けたいと考えています。

 

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