構想力の方法論


構想力の方法論

著者:紺野 登, 野中郁次郎 … 

構想力の源泉は暗黙知。そしてその暗黙知を構想化するためには、はたまた、そもそも「構想」とは?ということにまで言及した広く深く考えさせられました。(Inobe.Shion)

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内容紹介

これからは、想像力を超えた「構想力」へ

不正相次ぐ大企業、掛け声だけの働き方改革、かみ合わないデジタル化…日本の問題は、想像力の欠如に起因する構想力の欠乏にある。

これからの時代、目先の課題より、世界的な視野で社会全体の在り方を見据え、どのような方向性で臨むべきかを考えるべきだ–
野中郁次郎氏、紺野登氏が贈る新世代へのメッセージ。

この本は知識創造理論を基礎にして、いかに構想力を「次代の知力」として身に付けられるか。その方法論がテーマです。
構想力を高めるヒントやメソッド、儲け方などについて書かれた
ノウハウ本ではありません。構想事例(ケース)集でもありません。
それらを期待する読者をがっかりさせるかもしれません。
経営の世界だけでなく、社会的活動や研究活動など何らかの構想や
構想力を求められる読者も想定しています。本書が構想力について
関心を持ち、実践していくための「知的資源」となれば幸いです。(「はじめに」より)

【主な内容】
はじめに 思考のイノベーションの時代へ

第1章 構想力の危機
現場主義への過剰な信仰心招く悪循環
構想とは ビッグピクチャー/ビッグ・クエスチョン/新たなビューポイント

第2章 構想力とは何か
存在しないものを存在させる力
物語り的(ナラティブ)に行為を語る
イノベーションを駆動するポジティブな力

第3章 知識創造と目的工学
構想は共感から始まる=本質直感と相互主義性の形成(共同化)
人間や社会にとっての意味・価値の発見(表出化)
構想を実践の場で考える=構想の核を生み出す(連結化)
試行錯誤=エコシステムの形成(内面化)

第4章 エコシステムのデザイン
エコシステムが事業や政策の要を形成する
オープン・イノベーションエコシステムとしての都市
ルーマンの社会システム論とナラティブなエコシステム形成

第5章 歴史的構想力
構想力の時空間を広げよう
未来をつくる歴史の智慧
イノベーションは歴史的事件として起きる

第6章 日本の構想力
構想力で負けた日本/日本的構想力の可能性
構想という言葉のあり方/日本の構想力の可能性 ほか

内容(「BOOK」データベースより)

日本の問題は構想力の欠乏にあり!目先の課題より、世界的な視野で社会全体を見据えて方向性を考えるべき。このままでは構想力で海外に負ける!『知識創造の方法論』で知られる著者が送る新世代へのメッセージ。

「働き方」改革が大きな関心を集めています。しかし、はっきりいって方向が定まらない。「早く帰れ」おじさんと「結果出せ」おじさん、どっちの上司のいうことに従えばいいの?

という矛盾のお話が出てきます。上司も部下も無意識のうちにいわゆる「ダブルバインド」(二重拘束)の状況に陥ってしまう可能性があるとのこと。(p.7)

ダブルバインドとは(上司から)二つの矛盾した命令を受けた人(部下)が、矛盾を認識できないまま、対処しなければならない、でも身動きが取れない、という状態をいいます。これは英国生まれの米国の文化人類学者、グレゴリー・ベイトソンが提示したコンセプトです。対処の方法は様々ですが、「あ、これ、ダブルバインドだ!」と気づくことが第一歩です。自分の経験や状況に埋没してしまわずに、抜け出そうとすること。その力は想像力(イマジネーション)であると思われます。ダブルバインドから抜け出すには、まず状況を自ら知ることです。次に「リフレ―ミング」を通じて異なった角度からさまざまなオプションを考えることが重要だという指摘もあります。(pp.7-8)
リフレーミングとは、すでにある見えない枠組み(フレーム)で捉えられている物事を、その枠組みを外して、異なる枠組みで捉え直すことです。見方を変えるとそれまでとは違った意味が見えてきます。そのことで、身動きできない状態からも解放されるのです。物事や出来事には、このように見方や捉え方によって、いくつもの「バージョン」すなわち「オルタナティブ」(現状を打破する第3、第4の代替の道)があるのです。その考え方を基本姿勢とすることで、自分の中に矛盾を溜め込まずに門田や課題に向き合い、解決への行動を起こすことができる。(p.8)
ここで重要なことは、職場での上司と部下のコミュニケーションに限らず、社会にはダブルバインドの契機がいたるところに潜んでいるということ、そして私たちの想像力に手枷足枷をはめるということです。想像力の欠如は制度や文化、日常の中に埋め込まれている、わけです。これまでの延長戦で考えない。自らの力で考えることがなければ先は見えません。それには私たち自身の知の在り方、思考のイノベーションが不可欠だと思うのです。(p.9)
言語学者で哲学者のノーム・チョムスキーは、平凡な市民がある状況を眼前に見ながら全体主義的なものに取り込まれていくさまを、「システム全体を見渡そうとする想像力」や他者の「痛み」への想像力の欠如だと記しています。またそれは高度に組織化された社会に組み込まれた近代人のジレンマだとも指摘しています。(p.10)
こういった状況を感受、洞察して、変革していこうとするのは、アントレプレナーシップ・マインド(起業家精神)そのものだと思うからです。例えば、多くのスタートアップあるいはソーシャル・アントレプレナーなどのアイデアに期待される本質的価値とは、こうしたグローバルな危機を認識できる想像力、さらにそこから脱却するための構想力です。皮肉なことに、企業への信頼が低下しているにもかかわらず、社会的イノベーションやオープン・イノベーションの担い手として、企業に期待さ入れる役割はますます大きくなっているという、錯綜した事態も起きています。(pp.10-11)

そして「伝統的な」大企業は新たなプレーヤーの登場によって、業界や市場の中心から「外れて」しまっているにもかかわらず、いまだに中心と信じ込む「認識のズレ」がしばしば起こっているのではないかと書かれています。(p.11)

そうなると、「強者」ではなく「弱者」の戦略にシフトしないといけないのでしょう。そうすることによって、衰退する既存の領域は維持しながら、新しいところとの勝負を風向きを読んでいかなければならないのでしょう。既存の領域をないがしろにしてしまって、新たなところとの勝負に負けてしまうともうどうしようもないわけですから。

スタートアップのみならず、企業や経営者には(そして政治家も含めて)、こういった閉塞的状況を脱するための力、つまり「あるべき論」を語るのではなく、改善的な戦略立案や政策形成を超えて、多様な社会的に観点から新たな仕組みやモデルを生み出すような知力や胆力が問われています。(p.12)
ノーベル経済楽賞の米国経済学者エドマンド・S・フェルプスは、19世紀初頭からの世界の生産性の上昇、近年の衰退まで、長期的にその繁栄の要因を分析しています。そして、①革新的な活動が広く深く普及すれば国家は豊かになる/それを支えるのはハード面のみならず、意欲、才能、新しいものへの受容性などからなるソフト面のダイナミズムである、②こうしたダイナミズムが広い範囲で普及するには正しい価値観が原動力として機能しなければならない、③ビジネスの世界で経験や思考を積み重ねる、小さな進歩からイノベーションは起こる、として、私たちの時代がイノベーション力を失ってきたことを示唆しています。(pp.12-13)
構想力とは、個人、組織が発揮するケイパビリティ(能力)であり、想像力、主観力、実践力を合わせた「存在しないものを存在させる力」です。それは新たな現実を紡ぎ出す綜合する力、物語り的(ナラティブ)な知です。カントにおいて、構想力は感性と悟性を綜合するものでしたが、構想が生み出される背景には、イメージの力や認識や判断といった知力に加え、私たちの身体知があると考えられます。それにマイケル・ポランニーの見出した暗黙知の働きでもあります。これらが想像力、主観力、実践力を融合し、構想力をかたちづくっているといえます。(p.17)
構想は、過去・現在・未来にまたがる歴史的想像力によって生み出されるナラティブな智慧です。構想は大きな時間軸で社会の再生や革新のための仕組み、換気性の創出を担います。(p.18)
ネルソン・グッドマンという米国の代表する哲学者の本のなかで、「人間はバージョン(言葉や記号によるシステム)を制作することによって世界を制作する」といっています。そして、世界は一つでなく多数の可能性がある、というのです。「数多くの異なった世界=バージョンは、唯一の基盤へ還元できるという可能性を要求ないし前提とすることなく、独立の意義と重要性を持つ」と。グッドマンは美学や「クオリア」(感覚質)などの研究でも知られているのですが、枠にとらわれない自由さを併せ持っています。その洞察は、21世紀の今、グローバル化と高度情報化の中で、個々人がそれぞれに独自の構想力を発揮し、世界を協働して制作する可能性を示唆していると言えます。(p.19)
議論を整理すると、(1) 現場主義進行が構想力を抑制する傾向に働き、他方 (2) 現実にはますます構想力が要求されるようになってギャップはさらに広がっている。さらに (3) それを脱するにも構想力が必要というトリレンマ、すなわち構想力の三重苦になっているのが分かります。(p.35)
結論を言えば、日本企業が隘路を抜けるためにはイノベーションが不可欠ですが、そのためにはより良い社会を作ることを射程に入れた構想力が鍵となるでしょう。構想力は共感に裏付けながら、自由な展開の可能性を持つ人間力です。企業戦略や社会的運動の問題としてではなく、まず個々人の意識変革の問題として構想力を捉えることが肝要なのです。単に自社事業のアイデアを考えるのではなく、社会に変革をもたらす構想を生み出し、実践することがイノベーションにおいて求められる構想力です。ガタが来た社会や経済、企業のあり方をリバランスするのは、分析的なアプローチや、個々のシステムの内部の発想では到底難しく、まず構想力の働きによるしかないのではないでしょうか。(pp.38-39)

構想とは
①ビッグピクチャー
②ビッグクエスチョン
③新たなビューポイント
と挙げています。

個々についての気になるところをピックアップしておきます。

ビッグピクチャーとは法螺吹き(big talk)のことではありません。例えば、世界的にも有用視されているSDGs(持続可能な開発目標「Sustainable Development Goals」)が掲げる17の目標なども、目先の課題として解決しようとしたり、ただ自社の事業に当てはめて対応させたりするだけでは、大きな社会的変化は達成できないでしょう。より大きな全体像を構想し、将来の社会、地球、世界における自社の存在意義を考え、顧客や潜在的顧客である生活者の抱える悩みを洞察し、そこでなすべきことを目的として自覚する必要があります。(p.41)
構想力とは、良い問い(ビッグクエスチョン)の力でもあります。本質的な問いを立てることで社会やビジネスについての観察、対話、推論を促し、新たな世界を考察することです。(p.42)
ビッグピクチャ―とは「問題の全体像」です。それは「システム思考」などに基づくものの見方です。・・・全体像が見えていれば、周辺の他者の動きや自分の過去の経験を結び付けていくことができるでしょう。それはシステム内部における部分間の相互作用や、変化のパタンを知るということです。それには、高いところから俯瞰しているだけではダメで、むしろ現場での事象や部分(ドット)を結び付けていく過程で全体を仮説し、だんだんと像を結んでいく、アブダクション(直観的、飛躍的な仮説的推論)が重要になります。「木を見ながら森を想像する」のです。それを促すのがビッグクエスチョンです。(p.43)

そして次の部分は重要です。

構想は未来への知覚でもあります。状況の俯瞰(傍観)や情報の積み上げ(分析)でなく、主観に基づいて「こういった目的、未来を構想しよう」「できそうだ」という予見や確信がある、ということになります。ですから、ビッグピクチャ―を描くには、評論家的ではダメで、社会課題解決のビジネスモデルや、その前提となる「何のために?」という大きな目的意識が含まれていなければなりません。それは、とりもなおさず新たな知を創造することにつながります。ベースとなるのは、「どうしたらこの世界が変えられるのか?」という問いです。こうした問いのない俯瞰には意味がありません。そして、現実と目的を繰り返し行き来しながら、仮説をつくり、そこから発見をしていく、というアブダクティブな思考が求められているのです。そこではデザインの知が重要になるでしょう。(pp.43-44)
国家、組織、ビジネス、個人の仕事・働き方、あらゆるものが再定義されつつある時代に重要なのは何か、考えてみましょう。それは、この先人々がどのような価値観を持ちうるか、何を目指して行動し始めるかを見極める「視点=ビューポイント(viewpoint)」なのではないでしょうか。物においても、人々の行為においても、個人の考え方においても、その意味、その構造、その質のあり方が劇的に変化していく。例えば、その中で、me(私)としてだけではなくwe(私たち)として、社会のあらゆる問題に立ち向かっていくとき、進む方向は、人々がこの先何を価値として見るか、という新しいビューポイントや価値観によってしか見出すことができません。それは構想の「核」ともなるものです。(pp.44-45)
構想は決して単なるアイデアやスローガン、企画ではありません。ではこうした構想(ビッグピクチャ―)を生み出す構想力の本質は何か。それは「実践的な構想力」とも呼ぶべき知であると考えられます。(p.46)
構想力に関しては、古来より多くの哲学者、数学者、心理学者らが探求し、さまざまな理論を打ち立てています。構想力の原点であるイマジネーション(想像力)は、かつてはどちらかといえば感覚などと同じ次元のものとしてとらえられてきましたが、18世紀ドイツの哲学者カントは、構想力をそれまでのような空想や単なる想像とは区別して、これに独立した場を与え、感性(右脳)と悟性(左脳)という、本来は別個の働きをする2つの能力を総合的に機能させる能力として定義しました。(p.46)
私たちはよくイノベーションの話になると「ゼロから1を生め」、といったたとえをします。それは何もないところから新しいものを生み出す、という意味ですが、これまでの議論からは「ゼロこそが1を生む」のだといえます。実際、ウンウンと唸ってゼロから1を捻り出す、というのは難しそうです。「ゼロから1を生む」ということは私たちのなかではどのように起きるのでしょう?何か新しいアイデアをどこかから拝借してきて、そのことを知らない人の前で見せれば、「1を生んだ!」と思われるかもしれません。ただしそれを実行しようとすれば、他者がすでにやっていたことがわかり、結局、ゼロから1を生んだわけではないということになるでしょう。(p.62)

この気づきは大きいです。確かにゼロが何かを知らなければ、「これはない」「これがない」ということからそれを埋めようとする行為が発するわけですね。

そう考えると、まさについ先日読んだリクルートさんの話などはヒントになりますね。『事業とは「不」の解消である。』という「不」=ゼロであるとみなすことができるでしょう。

構想は現実に根差すことによって生まれます。単なるイメージ操作や思い付き(空想、連想、妄想)ではありません。私たちが生きる場での新たな知覚的・身体的経験を他者と共有し(共通感覚、コモンセンス)、想像力を発揮してイメージを広げ、さらにそこに悟性が参加する。こうして生まれた構想が新たなものを生み出していく「ゼロ」の働きをするのです。(p.63)
構想力とは、多様な直感を総合して一つの形象を生み出しているプロセスですが、その綜合の過程は物語的(ナラティブ)なものだといえます。物語りといっても、あらかじめ起承転結がハッキリした作品としてのストーリーを作り上げることではなく、自らの行為を声や言葉や身体を通じて、リズム感をもって逐次リアルタイムに物語っていくこと(態度)です。それは「ナラティブ」あるいは「ナラトロジー」「ナラティビティ」などと呼ばれる知の方法論です。構想は、論理的な帰結に基づく答えではなく、未来に対して実践者が自ら選び取る行為の経路であり、それに向かう意志と判断のプロセスが肝心です。(p.66)
構想力(構想知)は、想像力、主観力、実践力の融合(知性、感性、身体の三位一体で生み出される)人間の根源的能力(キャパシティ)から生じてくる力だと考えられます。構想力はこれらを磨くことで得られる、複雑な現代社会に不可欠な実践的智慧(フロネシス)なのです。(pp.69-70)

目的界と現実界を往還する構想知
(1)想像力(イマジネーション)

構想とは、未来(目的界)と存在(現実界)の矛盾やギャップの認識から、新たな意識を創造し、それによって問題解決のレベルを超えるような社会的影響(インパクト)を生み出す役割を担うものです。目的界(Realm of Purpose)は目的とする意味や価値や可能性の領域、現実界(Realm of Actuality)はファクトの世界、対象すべき現実の領域を指しています。構想力はこの2つの領域(世界)を循環しながら現実に変化をもたらす総体的な能力として位置付けられます。それは先天的なものよりむしろ経験、学習できる後天的なものだといえます。主観的、主体的に独自の観点に立って目的や価値を見出していく意思としての「主観力」、そこから現実にはない臨むべき世界を思い浮かべそのイメージを広げる精神作用としての「想像力」そうして形成されたイメージを現実と目的の間を往還しながら現実化するために手段を綜合していく行為としての「実践力」。これらを駆使して、私たちは構想の創造と実践を行っていくといえます。(pp.70-71)
構想力にとって、アート(芸術や制作、その行為)は本質に関わるものとなります。真善美を目指し、人間の想像力を解放する媒介となるからです。・・・芸術家はみずからの構想力を常にトレーニングによって鍛えています。ぼんやりしたイメージからくっきりしたイメージをつくり上げるのも構想力に負うところが大です。(p.76)
構想力はきわめてダイナミックな精神のエネルギーであり、構想力が立ち上がると、それと同時に構想をコンセプトとしてまとめ上げようとする概念化の思考や、どうしたら実現できるだろうかと、行動につなげていこうとする行為化の作用が動き出すのです。(p.76)

(2)主観力(サブジェクティビティ)

主観とは、経験したり構想したりする主体、その意識、心のあり方です。私たちの想像力は、自由な連想でなく、自分が何をやりたいのか、あるいは私たちがどのような場や状況にいて何をなすべきなのかが意識された時に大きな力を得ます。「主観力」とは、単に自分がやりたいことや好き嫌い、思いではなく、それらを含んで、私たちの存在としての内面の世界から生まれる力といっていいでしょう。(p.77)
構想における主観力とは、私たちが未来へ向けての志向性を持つことです。志向性は現象学の用語で、すべての意識は常にある何ものかについての意識であり、常に一定の対象に向かっているという、意識の特性を意味する言葉です。そうすると、未来への志向性を持つには、志向する起点(基点)として、世界をどう見るかという主観(想像、希望、夢、ひらめき・・・)が前提となります。それは、ただ「見る・観る」のではなく、ある特別な視点から見る・観るということです。自分にとっての望ましいもの、望ましいことは何かと、理想をさだめて、そこに向けてどのように現実を変化させていくべきかを、時間軸の中で見ていくのです。(pp.77-78)
個人の主観は、自己の内にとどまっているだけでは構想を生み出すことはできません。主観的な価値を追求するということは、一人ひとりの個が持つ主観が、組織や共同体といった社会内部での正当化を獲得する相互作用の過程を通じて社会的に共有され、共通の、より大きな主観となっていくものでなければなりません。(pp.78-79)
一見矛盾しているようですが、自分の初期状態の主観から発して、自分だけの主観を超えて、他者とも共有できるような客観的な主観性を得ること、これを可能にするのが構想力なのです。(p.79)
論理分析的な思考では新しい観点は生まれない。主観を軸にして行動・行為を実践することで初めて新しい観点が生まれる。ホンダでは昔からこのこと(ワイガヤ)が実践されてきたのです。(p.81)
イノベーションを志向する企業の現場では、主観性が重要となります。情熱を持ったリーダーや最前線の社員の主観力が、ときとして客観的なルールや制度を超えて、大きな成果をもたらすことへの潜在的期待があります。あなたは何をしたいのか、あるいは顧客は何をしたいのか、という問いです。(p.82)
構想力の基点となる人間の主観というものを、論理分析によって破壊することなく、客観の世界に持ち込み、いかに維持するかが、いよいよ課題となっているのです。それは「自己とは何か」といった主観的側面が経営や戦略において重要なファクターとなることを意味しています。主観と客観のバランスのとれた経営を、構想していかなければなりません。(p.84)
構想には、構想を育てる土壌、つまり土台となる「目的」が必要です。そもそも「何のため」の構想なのか、ということです。そしてこの目的の創出において、主観力はきわめて重要なもの、生きる意味となります。しかしそれは単なる個人的な思いではなく、他者や社会と合致するところに生まれる、客観性のある主観性だと言えるのです。それは自分にとっての意味の発見でもあります。(p.85)
イノベーションとは、実験室での科学的発見でも、孤立的な技術革新でも、アイデアコンテストでも、単なる新商品開発でもなく、より大きな社会的転換の一角を担うことであり、歴史的転換すら生み出す行為です。その際、いったいどのようにより善い社会をつくるのか、どのような価値や意味を生むのかという目的が、明確に意識されていなければなりません。そして、この「何のために?」が、どれだけ多くの人や組織で共感され共有されるかが、構想力においては最も重要です。(pp.86-87)

(3)実践力

 

構想知の重要な3つの要素の最後は、「実践力」です。実践とは何か。それは単なる実行(ただ行うこと)とは異なります。それはみずからの知識に基づいて、外界に働きかけ、変革を起こしていく行為です。ですから「理論と実践」はワンセットなのです。アリストテレスは、テオーリア(観想)つまり認知的活動、ポイエーシス(制作・創作活動)とは異なる、政治的、道徳的行為としてプラクシス(実践)を位置づけています。(p.87)
なぜ構想倒れになるのでしょうか?それは、構想が現実の世界と断絶していたり、隔絶されたものとして遠ざけられたりしてしまうような場合があるからでしょう。なぜそのようなことが起こるのかといえば、それらの構想が身体知に根付いていないことに原因があると思われるのです。身体知として生まれてくる、実践のための種を内包する構想は、社会の現場に立って自分自身の中に社会を映し出すところから発送、着想されます。そういうものでなければ構想とは言えないのです。構想知は私たちの想像力や主観力から生み出されることを挙げてきましたが、その意味で構想知は私たちの身体知に根付いていることを忘れてはなりません。(pp.88-89)
暗黙知の概念を提唱したマイケル・ポランニーは、これまで科学的創造の「脇」に押しやられていた「個人的知識」を重要な力として示しました。カント以来、構想力は感性と悟性の仕事であり、そこでは曖昧な、身体性に基づく暗黙知など「個人的知識」は脇に置かれた存在だったのです。(p.89)
そこで重要になるのが「場」です。暗黙知は身体知に基づくものですが、常にその場に限定される五感の限界、身体知の限界があります。それを超える意識的な場のデザインが必要なのです。身体知が重要であることは言うまでもありませんが、私たちの直観、身体・感情・知性を用いた人間や社会の現場での綜合が構成力においては鍵になるのです。(pp.91-92)
実践力とは実践的知識に基づく行為の力です。実践的知識は客観的法則のような知識でなく、現実の状況や場所での現象を理解する、経験的に得られる智慧です。歴史的な場面の状態を理解するような知力であり、場所や人々とのコミュニケーションの過程で発揮されるのです。英国の哲学者アイザイア・バーリンはこのような能力を歴史学の方法として説明しました。「何故」「どんな規則に従って」「どんな目的に向かって」「どんな動機から発して」行為が行われるかを理解する、それゆえ行為が可能になる、と。(p.94)

「美学と構想力」と題したコラムが挟まれているのですが、これが94ページから111ページまでもあります。コラムとあるのですが、重要なポイントになっています。

構想力はカント以来、美学(エステティクス、美を対象とする学問的考察)の世界から、哲学、人間存在に関わるものとして展開していきました。美学の対象はアート(美、美術/芸術さらには創造的な技術/人工/技巧)あるいはそれに関わりの強いデザインの世界です。アート(美)は真や善と並んで高い理念を持つ価値だと見なされています。したがって単なる趣味的な嗜好という問題ではなく、全人格に関わるものであり、知性、完成、倫理、記憶、知識などあらゆる人間の能力を動員する構想力の根底にあり、活力を与えてくれるものと考えられます。(pp.94-95)
構想力の創造力、主観力、実践力を三位一体で体現しているのがアートの世界でしょう。全体主義を批判したドイツの哲学者ハンナ・アーレントは芸術において、個人を超えた相互主観性が成立する可能性を見出していました。現代に至って、構想力が人間の心的活動としてだけでなく、社会さらには環境にまで関わるものとなっているなかで、美は道徳的・倫理的価値を深く結びつけるものとしても重要です。(p.95)
非常に複雑なカオス化した世界に投げ込まれているいま、構想なきデザイン思考では、ビッグピクチャ―を描き新たな時代を拓いていくことはできないでしょう。しかし構想することはまさにデザインの本質でもあります。したがって、これまでのデザイン思考を超える、デザインの根底の力に基づく新たなデザイン思考が求められているといえます。(p.97)
構想は常に現実に根差しながら、それを超えようとする、いわば矛盾を超えていく力を持つ概念です。何か新たなことをやろうとすれば、そこには常に対立があります。そこで対立する概念や要素を弁証法的により高い次元で「綜合」しなければなりません。対立と綜合を繰り返し発展的に真理に迫る。勝ちの対立や矛盾を許容し、そこから新たな意味を生み出し続けるには、「現実直視」「知的謙虚」「臨機応変」「執拗性」などが要請されます。(p.115)
「今ここ」の現実界(課題領域)と、「あるべき未来」の目的界(意味の領域)を行ったり来たりしながら社会や経済のシステムを変化させる。それは、次の3つが同時並行していく実践だと言えます。以下でこれらの方法論について考えていきたいと思います。(p.117)

構想化のプロセス
(1)構想をデザインするプロセス(知識創造理論)
(2)目的を創造していくプロセス(目的工学)
(3)エコシステムの形成プロセス(社会システム論)

構想において重要なのは「目的系」の創出です。目的系とは、大目的から中目的、小目的へと階層的に広がる目的群のシステムです。(p.137)

・大目的・・・
本質的な最上位目的。崇高高邁な哲学やビジョンだが、しばしば政治ていな意図や大義をも含む。最終的には共通善に達する。
・中目的・・・
駆動目標・・・大目的を具体的な概念やスローガンとしたもの。理解しやすく難度が高くとも達成すべき、明示的に翻訳された目標値。
・小目的・・・
個々のプロジェクト当事者あるいは参加者の思いに結び付けられる事実、ジョブ、技術的目的、個人的な知的目的や構想など。

このあとも「構想力」を考えていくうえでのアプローチが紹介されている。非常に読み応えのある内容で、数度読み返して、自分の血肉にしたいと思う。

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