人口減少社会の未来学


人口減少社会の未来学

編:内田樹

内容紹介

21世紀末、日本の人口は約半数に――。人口減少社会の「不都合な真実」をえぐり出し、文明史的スケールの問題に挑む〝生き残るため〟の論考集。各ジャンルを代表する第一級の知性が贈る、新しい処方箋がここに。

目次
・序論 文明史的スケールの問題を前にした未来予測 内田樹
・ホモ・サピエンス史から考える人口動態と種の生存戦略 池田清彦
・頭脳資本主義の到来
――AI時代における少子化よりも深刻な問題 井上智洋
・日本の“人口減少”の実相と、その先の希望
――シンプルな統計数字により、「空気」の支配を脱する 藻谷浩介
・人口減少がもたらすモラル大転換の時代 平川克美
・縮小社会は楽しくなんかない ブレイディみかこ
・武士よさらば
――あったかくてぐちゃぐちゃと、街をイジル  隈 研吾
・若い女性に好まれない自治体は滅びる
――「文化による社会包摂」のすすめ 平田オリザ
・都市と地方をかきまぜ、「関係人口」を創出する 高橋博之
・少子化をめぐる世論の背景にある「経営者目線」 小田嶋 隆
・「斜陽の日本」の賢い安全保障のビジョン 姜尚中

人口減少社会の未来を予測する書物は、本書含めて、これからいくつも出版されると思います。このように国民的な問題については、できるだけ多くの書き手によって、できるだけ多くの知見が示されるべきだと思います。未来は常に霧の中です。霧の先にどういう風景が広がっているかについては、確定的なことを言う人は1人もいません。ですから、論者の数だけ未来像が語られることになる。この場合、予測される未来像が違えば違うほど、僕たちが書き出さねばらならない「心の準備」のリストは長大なものになります。(pp.14-15)
70億という人類の総人口はどう考えても地球環境への負荷としては過大です。それでも、22世紀までは人口はさらに増え続けます。2050年には97億人、2100年には112億 に達すると予測されています。それだけの人口に対して、エネルギーや食糧や水や医療や教育資源を安定的に供給できると思っている人はたぶんいないでしょう。現在でさえ、世界では8億人が栄養不良状態にあります。9人に1人が飢えている。それにもかかわらず、世界人口はこれから30年でさらに22億人、1年に約7000万人のペースで増え続けます。人口が際立って増えるのは、インド(3.2億人)、ナイジェリア(2.2億人)、コンゴ民主共和国(1.2億人)、パキスタン(1.1億人)、エチオピア(9千万人)、タンザニア(8千万人)、 アメリカ(7千万人)、インドネシア(6千万人)、ウガンダ(6千万人)などです。これらの国々において、30年後は今より政情が安定し、経済が好調で、民心が穏やかになっていると予測するためにはよほどの楽観が必要でしょう。これ以上の人口増を受け入れるだけの体力は (アメリカを除いて)これらの国々のどこにもありません。ですから、地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。先進国はどこでも(アメリカを除いて)これから人口減局面に入ります。8世紀にはアジア、ア フリカを含む全世界が少子・高齢化、そして人口減局面を迎えます。これは「誰の身にも起きること」なのです。まずそのことを認めるところから始めないと話になりません。(p.17)
人口減少に対して、行政のどの部署が対応策を起案するのか、その提案の適否は誰がどういう基準に基づいて判断するのかについて、今の日本にはまだ何の合意も何のルールも存在しないと言うことです。「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」と言うようなことを行政の専門家が今頃(自分にその気は責任があるのではないかと言う自覚を全く欠いたまま)言っているという事実に目たちがもう少し慄然としてよいと思います。(p.19)
思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、被害を最小化するかという話は誰もしない。それは「うまくいかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。そして、この論法にしがみついている限り、将来的にどのようなリスクが予測されても何もしないでいることが許される。その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部とマインドにおいてはほとんど変わりません。いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することが予測されている。(p.23)
楽観的でいられる限りは、統計データを都合よく解釈したり、リスクを低く見積もっており、嘘をついたり、他人に罪をなすりつけたりする「知恵」だけはよく働くからです。そうやって適当な嘘や言い逃れを思いつく限りは、しばらくはおのれ1人については地位を保全できるし、自己利益を確保できる。でも、悲観的な未来を予測し、それを口にした途端に、これまでの失敗や無作為について責任を問われ、とるべき対策の起案を求められる。そんな責任を取りたくないし、そんなタスクを課せられたくない。だから、悲観的なことは考えないことにする。早めに失敗を認めて、被害がシステム全体には及ばないように気遣った人間がむしろ責任を問われる。非難の十字砲火を浴び、謝罪や釈明を求められ、「けじめ」をつけろと落とされる。それが日本社会のルールです。システム全体にとっては「よいこと」をしたのに、個人的には何一つ「よいこと」がない。だったら、失敗なんか認めず、「すべて絶好調です」と嘘を言い続けて、責任を先送りしたほうが「まだまし」だということになる。(p.27)
アメリカもロシアも中国も日本もトルコも、為政者たちは対外的な冒険主義によって敵対的な地政学的環境作りに熱心に取り組んでいますが、それはにべもな言い方をすれば、経済問題に対して国民が関心を持たないようにするためです。国民の命を目を「派手な」外交問題や軍事問題や国内のイデオロギー的対立に集中させることによって、来るべきリセッションについて考えないように仕向けるためです。けれども、この経済的苦境自明の与件として受け入れ、その上で「低成長」「ゼロ成長」の経済システムをどうやって構築するかについての非情緒的で計量的な議論を始めている人たちもいます。(p.35)
人口減少社会における雇用環境の変化についてそれ以外に言えることは、大きなマーケットを前提にした大量生産餅大量流通ぽち大量消費・大量廃棄と言うビジネスモデルはいずれもそう版退場を余儀なくされるだろうと言うことです。人口減に加えてAIの導入による雇用の空洞化で一定が縮減し、消費活動が低迷することが高い確率で予測される以上、どうしようもない。(p.40)
アメリカではこれから雇用が増えるのはきめ細かな対人サービス部門だけだという予測が語られていましたが、日本では看護介護という対人サービスを含む「高齢者ビジネス」と「貧困ビジネス」という二分野が活気づくと思われます。とは言え、後者にはあまり先行きが期待できません。高齢者の増減は自然過程ですが、貧困者というマーケットの増減には人為がかかわるからです。(p.41)
動物の個体群動態(人類の場合は人口動態)を考える上で、1番重要な概念はキャリング・キャパシティ(環境収容力)である。ある地域で、ある種が維持可能な個体数の上限のことだ。気候条件と生息場所の構造、食物供給量で規定されるが、通常、キャリング・キャパシティまで個体数が増える事は滅多になく、他種による捕食や寄生、伝染病の蔓延、生態的地位(ニッチ)が近い他種との資源をめぐる種間競争などによって、実際の個体数はキャリング・キャパシティのずっと下方に抑えられているのが普通である。昆虫や魚のように世代が短い動物は、人間のスケールで見ると、時に爆発的に大発生するが、多くの場合、これはキャリング・キャパシティが変動したのではなく、キャリング・キャパシティに近づくのを妨げていた要因の抑圧がなくなったためである。(pp.48-49)
英国の人類学者ロビン・ダンバーは、互いに親密な関係を築ける集団の構成員の上限を150人程度だという仮説を提唱した。これはダンバー数と呼ばれる。この程度の集団では、各人の個性を発揮して、自由に振る舞っても集団のまとまりが保たれ、自律性と柔軟性が出現することが、人間ばかりでなく、動物においても見られるという。しかし、農耕革命が起こると、集団の人口はダンバー数をはるかに超えて拡大していった。集団を統制するために指導者が出現し、それらを統制するルールが造られ、ルールを示したり命令を伝えたりするための文字が発明された。文字は対面によるコミュニケーションを省いて、すなわち、ミラーニューロンを介さずに情報伝達手段であり、好悪や納得を抜きにルールや命令を守らせるするためのツールとして機能した。もちろん、文字は知識を集積して次世代に伝える機能を持ち、概念を捏造して思想や宗教や科学の基礎となった。(p.63)
発展途上国やキャッチアップの過程にあり、資本(生産設備)を急速に増大させることで、高い成長率を実現することができる。キャッチアップが完了し先進国の仲間入りをした後では、こうした急速な成長は不可能となるが、技術進歩によって主導される緩やかな経済成長は持続できる。人々が工夫や発明・発見を続ける限り、技術進歩もそれによる経済成長も止まることがない。したがって、2%の率の成長は自然なことなのだが、日本経済は不自然なことに、失われた20年の機関には、0.9%の成長率しか得られなかった。それは主に需要サイドの要因によってもたらされており、財政・金融政策によって自然な成長を取り戻る必要があった。(pp.78-79)
これからの世界経済は、労働者の頭数ではなく、人々の頭脳レベルが一国のGDPや企業の収益を決定づける「頭脳資本主義」に転換していく。作家で評論家の堺屋太一氏が、1985年に『知価革命』で知恵が価値を持つ「知価社会」の到来を予見しているが、そのような社会が本格的に到来するというわけである。それゆえ、少子高齢化ではなく科学技術力などの知力の衰退のほうが、経済に対するより大きなマイナス効果を持つようになる。(pp.81-82)

産業革命、それは言い換えればGPTの登場こそがそのトリガーだと言えるのではないでしょうか。

18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリスで最初に起こった第一次産業革命で最も大きな影響力を持った技術は蒸気機関である。蒸気機関のような、あらゆる産業に影響を及ぼし、また補完的な発明を連鎖的に生じさせる技術を「汎用目的技術」(General Purpose Technology : GPT)という。(P.82)
内燃機関(ガソリンエンジン)や電気モータなどのGPTは19世紀末から20世紀初頭にかけて第二次産業革命を引き起こした。私たちの現在の消費生活の多くは第二次産業革命が切り開いた地平にある。たとえば、自動車や飛行機は内燃機関の、洗濯機や掃除機は電気モータのそれぞれ補完的発明の賜物と言える。(pp.82-83)
コンピュータとインターネットという2つのGPTが引き起こしたのが、第三次産業革命である。その起点を、Windows95が世に送り出された1995年とするならば、この革命は20数年間ほどしか時を経ていないことになる。IT化の基本はペーパレス化であるから、紙の書類で契約を交わし、紙幣で商品を購入しているうちは、第三次産業革命はその基本的な部分さえも完了していないということができる。今なお第三次産業革命は進行中なのである。この革命は、過去の2回の革命とは異なり、全ての労働者を等しく豊かにするわけではない。(p.83)
いずれにせよ、AI(汎用AI)などの汎用目的技術(GPT)を活用し、いち早く生産活動の変革に成功した国が、次代の「ヘゲモニー国家」(覇権国家)となるものと考えらえる。アメリカの社会学者ウォーラーステインは、17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカを各時期におけるヘゲモニー国家として位置付けた。ここで注目すべきなのは、各時期にGPTをいち早く導入し活用した国が覇権を握っているという点である。(p.87)
産業革命期のイギリスでは、産出量の増大に伴って人口がかつてない勢いで増大した。しかし、それを振り切るほどのスピードで産出量が増大し、マルサスの罠からの脱却が実現した。つまり、時を経るごとに一人当たり所得が増大し、生活水準が増大し、生活水準が絶えず向上するような経済へと移行したのである。(pp.91-92)
初婚年齢は、1950年から、2015年までの65年間で、およそ6歳も上昇している。23歳から、30歳までは、女性が最も子どもを生みやすい年齢であることを考えれば、この間未婚であることが、少子化の主要因であることはすぐに分かるはずである。日本の場合、有配偶率は、戦後、一貫して右肩下がりであり、少子化の主要因は、晩婚化であることは歴然としているのである。これが、少子化問題を議論するときの、出発点である。この明白な事実を共有することなく、少子化の是非や、対策を論じることは、かえって問題を曖昧にするだけである。(p.139)
日本における少子化対策は、婚姻の奨励や、子育て支援が中心である。フランスやスウェーデンにおける少子化対策は、日本やkン国とは向かっている方向が逆で、法律婚で生まれた子どもでなくとも、同等の法的保護や社会的信用が与えられるようにすることであった。婚姻の奨励や、子育て支援といった個人の生活の分野には、政治権力が介入するべきではないと考えているからだ。むしろ、人権の拡大や、生活権の確保といった方向に、この問題を解決する鍵あるということである。(p.143)

どんどん気になるところを抜いていくのに終始しましたが、色々な気づきやモノの見方があることを知ることができました。

「少子化」という一つの問題だとしてもさまざまな面からの切り口があるのだなぁと思ったのと、それに対して研究されているということでした。こういう一つのテーマを自分の視点でそれぞれが語るという体裁はなかなか興味深く読ませていただきました。

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