ゲーム理論はアート

ゲーム理論はアート 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学

著者:松島 斉

サブタイトルに「社会のしくみを思いつくための繊細な哲学  」とあるのですが、素敵ですよね。センスのある方だなぁと思いながら、読ませていただきました。多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。(Inobe.Shion)

File:Rockpaperscissorspayoff.png

 

経済や社会に問題には共通点がある。それは、ただやみくもにその詳細を調べ上げても、事の本質に迫れないばかりか、かえってもますます混乱していくような難題だということだ。ならば我々は、「つかず離れず」のスタンスを取って、問題を調査するための「基本方針」をきちんと定めていかないといけない・きちんとした方針があれば、調査はぶれることなく、事の本質に迫ることができるはずだ。こんな基本方針は、論理的に首尾一貫した、社会のしくみを簡潔に表現する「社会理論」でなければならない。そして、方針をどのように定めるかは、まるで芸術家が作品を生み出すような、創造的作業になる。(pp.ii-iii)

この作業を「ゲーム理論」という名の数学を使うことによって理想的になされることを解き明かそうという試みが本書です。

そして著者の「ゲーム理論」愛がよく感じられます。

ゲーム理論の真骨頂は、日常と空想のはざまで仮説的モデルを思いつこうとする、その創造的、芸術的行為にある。こんなゲーム理論は、社会と芸術の関係性を求めようとする「現代アート」の、さまざまな試みの中でも「最強」のアプローチの1つだ。ゲーム理論の仮説的モデルは、数学であるがゆえに、相互に、自在に、比較検討することができる。本書にリストアップされた社会問題はすべて、仮説的モデルと通じて比較検討できる。このことが、ゲーム理論が最強アートたりうる所以となる。(pp.iii-iv)

ここから本文に入っていきます。気になったところをピックアップしていきます。

19世紀後半に活躍したアメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースによると、新しいアイデアを思いつく作法は、仮説形成推論(abduction)といい、演繹的推論や帰納的推論といったおなじみの推論とは区別されるそうだ。演繹的推論とは、モデルからどのような性質が導かれるかを、論理的に明らかにする推論である。帰納的推論とは、データからどのような規則性が導かれるかを、実証的に明らかにする推論である。これらとは区別して、仮説的形成推論は、既存のモデルに反する出来事がある場合、その出来事を説明できる新しいモデルを思いつくための推論のことである。この仮説形成推論こそが、社会科学を創造的行為、芸術的行為にまで高める原動力になる。(p.14)
演繹的推論 帰納的推論 仮説形成推論
モデルからどのような性質が導かれるかを論理的に明らかにする データからどのような規則性が導かれるかを実証的に明らかにする 既存のモデルに反する出来事がある場合、その出来事を説明できる新しいモデルを思いつく

 

新しいモデルを思いつくことによって人々に影響を与えるとは、いったいどういうことか。それは、もっと踏み込んで具体的な問題の調査や解決をしたい人に、問題の本質がどこに潜んでいるのか、問題の本質にどのようにアプローチすればいいかについて、「よい手助け」をすることである。具体的な問題に携わる人は、何らかの仮説的モデルを出発点とすることによって、はじめて問題の核心に迫ることができる。よい仮説的モデルを土台に据えなければ、やみくみに調査したとて、オリジナリティーあふれる研究にはなかなかたどりつけない。一方、仮説的モデルを創造する側には、次のような覚悟が必要にある。現実に全く背を向けて、既存のモデルを機械的に拡張するだけなら、そのうち社会化学は枯渇してしまう。だから、そうならないように、自分の経験や人生観、外部の観測などを、社会科学にどんどんぶつけていかないといけない。(pp.16-17)

私自身、研究者の端くれとして、この言葉は非常に響きます。どちらのアプローチを取るにせよ、考えに考えないと「よい手助け」になりえない、つまり社会へのコントリビューションがないということになって、自己満足で終わってしまうのでしょう。

このように影響力のあるモデルはどのような体裁であるべきか。まず、それは、あくまで仮説的であり、特定の状況にはあまり縛られず、むしろさまざまに解釈できて、広い応用範囲をもつべきである。そして、重要なことには、他のモデルとどのように異なるかについて、いつでもきちんとつじつまのある説明ができないといけない。そうでなければ、具体的な問題について仮説的モデルのどれを土台にするかをめぐって、満足のいく比較検討ができない。これらの要請をみたすため、全てのモデルは、共通の、論理的な、何らかの「形式言語」に基づいて形成されることが望まれる。共通言語があれば、どのモデルについても、その解釈如何に関わらず、首尾一貫した説明を論理的に提供できる。そして、異なるモデルの違いをも、論理的に説明できる。(p.17)

これは論文のお作法にも通じるところでしょう。

よい社会科学者は、このカルチャーを背負う存在になる。そして、芸術家のように、このカルチャーと現実をぶつけ合うことによって、創造的行為を行う。この創造的行為によって、爪痕を残すように、空想を、モデルという作品に仕立てる。こうして、理想的な社会科学は、芸術になり、愛そのものになるのだ。(p.18)

最後の「愛」というところまでへは少し飛躍している気もしますが、良い社会学者の「在り方」としては納得です。

ゲーム理論を上手く伝えるためには、よいテーマを選んで、ゲーム理論における話題を、独自の視点から上手にまとめあげる、つまり「キュレート(curate)」する才能が必要になる。よいキュレーションをデザインできる人、つまり、よいキュレーターが、ゲーム理論には必要だ。(pp.25-26)

キュレーションに求められることとして、次の4つを挙げてらっしゃいます。(pp.26-34)

  1. ゲーム理論の創造性を一般の人に知ってもらうこと。ゲーム理論が社会科学のアートであることを、広く知ってもらうこと。
  2. ゲーム理論が、経済学に大きな貢献をしてきたことを一般に広く知ってもらうこと。
  3. ゲーム理論が、メカニズムデザイン、マーケットデザインなどといった、経済制度や社会制度の設計に深く関わっていることを、広く知ってもらうこと。
  4. ゲーム理論が、経済学に限らず、社会科学全般についても、理論的基礎を構築できる大きなポテンシャルをもつこと。
社会の隠された病理には、さまざまな形態がありうる。しかし、私の知る限り、さまざまな形態についての首尾一貫した理論的説明は、ゲーム理論において、今まであまりちゃんと提供されてはいない。だから、社会の隠された病理の解明は、「これからのゲーム理論」が活躍する格好の場所になり得る。この意味において、今後、ゲーム理論による仮説的モデルが果たす役割はもっと大きくなると考えられる。(p.37)

以下、上のような方針に則って、様々な事例がキューレーションされています。非常に興味深い内容です。

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