社歌の研究


社歌の研究

社歌の研究
著者:寺岡 寛 … 

非常にユニークな切り口での経営研究書。どこまで深堀されているか、興味は尽きません。(Inobe.Shion)

「社歌」の画像検索結果

内容紹介
近代から現代までの社歌の成り立ちや変遷、さらに社歌が生まれたその時代背景を通して、社歌のもつ意味と日本企業のマネジメントのあり方にどのような影響を与えたかを探る貴重な労作!内容(「BOOK」データベースより)
「社歌」とは、自分たちと自分たちの属する組織のある種のセルフアイデンティティー(自画像)を体現させたものである。本書にもう1つの副題をつけるとすれば、「社歌の経営社会学」となるだろう。(本書「はしがき」より)

トップの「はしがき」にはしがきに書かれている著者の問題意識、本書のイシューの説明が大変知的に難しい言葉を使いながらではありますが、ずっしりと腹に落ちてきます。

ジャーナリストの弓狩匡純は、『社歌』で日本企業の「歌」を取り上げている。弓狩は日本の企業社会で「社歌」が生まれた背景について、「血縁、地縁ではなく、公募によって採用された『俸給生活者』を会社組織としてまとめるためのシンボルとして社歌は生み出された」と述べている。「社歌」を位置づける鍵概念は、「公募」「会社組織」「シンボル」である。(はしがき  p.i)
ドイツ人社会学者フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の対概念からすれば、日本社会がゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと移行する時期に、企業組織にとって、社歌の存在が必要であったことになる。つまり、企業という組織のほうから、俸給生活者―サラリーマン―をまとめることの必要性があったのだ。(はしがき  p.i )
テンニースが掲げたゲマインシャフトー共同体的社会―では、成員は家族など血縁・地縁的・感情的な結合によって、その集団に包摂される。他方、ゲゼルシャフト―利益的社会ーでは、成員はあくまでも金銭的な利害関係を中心にその集団に包摂される。したがって、外部者からみれば、企業=ゲゼルシャフトの成員が親密にみえても、その本質的な底流は利害関係ということになる。利害関係が薄くなれば、組織としてのゲゼルシャフトは、当然ながら、その存立は困難とならざるをえない。(はしがき p.i)
日本社会を企業史から振り返れば、大正期にはそれまでの自営業的小企業だけではなく、それなりの従業員規模をもつ企業群が形成され、いわゆる近代的なマネジメントが強調されるようになった。その反面、まるでアンビバレント的に家族主義的経営も同時に推奨されるなどの動きも盛んになった。この意味では、日本社会も、テンニースの指摘する、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトという近代社会へと変容しつつあった。むろん、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの両極性だけで、割り切ることのできない日本社会での文脈もあったはずである。換言すれば、外面的にはゲゼルシャフト的な共同体(=企業)を内面的に支える原理としては、むしろゲマインシャフト的な家族的雰囲気が必要とされたのである。社歌に取り組んだ弓狩は、二律背反的で二つの一見異なるような社会構成原理をつなぎとめるものとして、社歌をとらえようとしたのではないだろうか。企業活動が活発となる大正時代に、社歌が登場し始めた背景の理由もそのあたりにある。(はしがき pp.i – ii)

これらを読んでいて私なりの仮説としては、会社というものは、ゲマインシャフト的な家族的雰囲気の必要性というのは強く感じます。そしてそれをより強固なものにするために、さまざまなものを「共有」するということが大切だと考えます。いま共有しているのって、メールアドレスのドメイン(@…co.jp)くらいじゃないですか?

社章のない会社も増え、朝礼の一言、なんていうのも減ってきているでしょうし、社員旅行、社員同士の飲み会、さまざまな共有するモノ・コト・時間が減ってきていると思います。アメリカのような個人主義の国民性なら、そんなのがなくてもまだまだ強いと思うのですが(それでもあった方がいいと思いますが)、日本人という民族で考えると、「共有」することは何物にも替え難い意味・価値のあるものなのではないでしょうか。

今までいろいろと考えてきたこととこの「はしがき」を読んでいるとそんな風に考えました。その視点での研究ってあるでしょうか。今回のこの著書は、そのなかでも「社歌」に絞っているので私自身の問題意識よりはかなり絞り込んだ形になりそうですが、じっくりと研究の結果を考えながら読んでいきたいと思います。

社歌とは、自分たちと自分たちの属する組織のある種のセルフ・アイデンティティー―自画像ーを体現させたものであるともいえよう。・・・弓狩はバブル期以降、それまでの社歌の意味も次第に変質していき、社歌はあえて社員が肩を組んで、みんなで歌わなくとも、親しみが持て、気軽にだれでも口ずさめる会社の「イメージソング」へと変わっていったと指摘する。社歌(カンパニーソング)と会社のイメージソングとの間には、日本企業の内外での経営環境の変化が反映されている。(はしがき p.iii)
社歌が広く生まれてきた背景には、国民の多くが共通して歌える「国民歌」がすでにある中で、自分たちの地域や学校のみならず、企業などの職場で自分たちの「役割」を認識させられる個別の歌を必要としていたのである。この意味では、総論としての国民歌に対して、個別論において地域レベルでの新民謡、市町村レベルでの市歌や町歌、そしてより身近な組織である会社レベルでの工場歌や社歌が生まれていたのではあるまいか。(p.10)
高度成長期という農村から都市への人口の移動という大動員の変革期を反映したものとして継承されたのである。・・・農村という家族や地縁・血縁の紐帯が強いゲマインシャフト的な社会から、見知らぬ者たちの集合体であるゲゼルシャフト的な都市社会へと移動してきた人たちにとって、自分たちの所属意識の不明確さなどアイデンティティ・クライシス―自己の存在意識や社会的役割の喪失状況―に直面したに違いない。社歌は、自分たちの地域を歌った新民謡のようなものであったのかもしれない。社歌などは、ゲゼルシャフト的な社会をゲマインシャフト的につなぎとめる接着剤のような役割を果たした。(p.12)
やがて、戦後復興から高度経済成長の時代にかけて、会社という組織も成長し、一定規模数以上の従業員を抱えるようになり、企業理念などの共有化には、小難しいトップのあいさつなどよりは、企業理念などが易しい印象的な言葉でもって、だれもが口ずさめる歌になったほうが、より親しみやすかったことはいうまでもない。社歌をもつ企業が増えれば、「わが社も社歌を」という横並び精神のブームが来て当然でもあった。(p.13)
なぜ社歌が必要であるのか。それは唱歌、軍歌、校歌などの団体歌と同様に、言葉を歌曲にのせて伝えることの「浸透性」「効率性」「広範囲性」「繰り返し性ー暗唱性ー」という4つの要素が、互いに有機的にそこに絡んでいるからではあるまいか。「浸透性」とはまさに「沁み込む」ことであり、それは暗唱できるまでに繰り返すことによって、達成されやすいことを意味する。人は難しい言葉や長い文章で、その内容を暗記することは容易ではないが、シンボリックな言葉で表現された内容のことなどは何度も歌うー「繰り返し性」-ことによって「効率性」に、なおかつ、他の人がそれを聴くことによって、広範囲にその歌詞などの存在を知ることができる。「広範囲性」ということでは、社歌は会社内部の関係者だけではなく、外部の取引先や不特定多数の消費者などへも、その企業のいまでいえばイメージソング、あるいは、コマーシャルソングとしての「浸透性」をもっている。(pp.44-45)
家族経営というのは、結論を先取りすれば、家族のような親子関係が労使関係にまで擬制化されるー実際にはそのようでなくても―のは、従業員が「家としての会社」感を持っているからである。もし、経営者やそこに働く人たちが、そのように感じなければ、家族経営は成立するわけではない。必然、そこに働く人たちが自ら望み、望まれないかぎり、「会社としての家」感は成立しえない。それゆえに、家族関係を擬制化した制度が必要となる。家長が出来不出来に関わらず、家族を排除できな用に、社長もまた社員を排除できない仕組みが必要となる。弓狩が社歌と終身雇用との関係を重視しているのもそのためである。(pp.48-49)

「家族経営」を実際に“家族”という言葉の意味から考えていて面白い観点です。さらに踏み込んで次のように言及しています。

ただし、擬制化された関係を維持できるのは、会社が常に成長し続けている限りである。そうでなければ、従業員を外部労働市場に排出しながら、あるいは正規雇用を減らし、非正規雇用に置き換えながら縮小均衡しているとすれば、会社=家という擬制関係の成立はきわめて困難である。これは、バブル崩壊後の日本企業の姿がそうである。そうだとすれば、弓狩が社歌の第二のブームと言われた「日本のお家芸であった家族経営、終身雇用が最も光り輝いていた」時期を過ぎたいま、社歌は消えてしまったのだろうか。(p.49)

ここまでは第一章でした。

第二章からは非常に微細なところに入っていきますので、割愛いたします。それぞれ、上記の第一章で興味がわかれた方は手に取ってみてください。歴史的背景から歌詞に至るまでしっかりと調べられています。

歌詞などの細かなところに入っていくよりは、社歌が及ぼした役割や、いまも廃れていったということですが、例えば100年以上の社歌をもつ老舗企業での「いま」の社歌の扱われ方などについても整理しておいていただけると面白かったと思いました。

それにしても、この切り口、シュールでした。

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