吉田松陰名語録

吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言

吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言
著者:川口 雅昭

内容(「BOOK」データベースより)
「松下陋村と雖も、誓って神国の幹とならん」―幕末長州の一寒村・松本村の私塾・松下村塾において、一国の将来を担う人材の育成に情熱を注ぎ、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など、数多くの維新の指導者たちを育て上げた吉田松陰。本書は、その松陰の残した心魂に響く百三十の名言を選び、「いかに生くべきか」の観点から解説したものである。

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯] 「覚悟の磨き方」を買いましたが、やはり原文が知りたい、、ということで。
[目的・質問] 松陰先生の教え・覚悟を原典で。
[分類] 289.1:個人伝記(日本人)

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こちらもよかったのですが、こちらは原文から筆者が編集したものになっていて、これはこれでいいんですが、私は「原文派」です。

ですので、こちらのほうがしっくりきます。

心に響いた言葉、引っ張ってきます。

番号 原文 解説
1 道の精なると精ならざると、業の成ると成らざるとは、志の立つと立たざるとに在るのみ。 人としての生き方が正しくすぐれているかそうでないか、また、勉強などがうまくいくかいかないかは、心に目指すところがきちんと定まっているかいないか、つまり志があるか否かによる。 志というものは、単なる希望や望みなどではない。それは、責任を伴う。己に対する責任、また、国家・社会に対する責任である。今の志を常に振り返り、より正しく、大きなものとしたい。
3 夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。
必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉事(びんべんこと)に従ひて而る後可なり。
重要な仕事をするものは、才能を頼みとするようでは駄目である。知識などを頼みとするようでも駄目である。
必ず、何のためにそのような仕事をしているかを考えて、
気持ちを奮い立たせ、仕事に励むことにより、達成することができるのである。
愚直なほどに時間をかけ、真摯に仕上げた仕事はどこか違う。なぜそのような仕事を選び、従事しているのか。常に自分の志なるものを見直し、日々新たな心で仕事に臨みたいものである。
7 人は一心不乱になりさへすれば何事へ臨(のぞ)み候(そうろう)てもちつとも頓着(とんちゃく)はなく、(中略)世の中に如何(いかに)に難題苦患(なんだいくかん)の候(そうろう)ても、それに退転(たいてん)
して不忠不孝(ふちゅうふこう)無礼無道(ぶれいむどう)等仕(つかまつ)る気遣(きづか)ひはない。
人は一つのことに心を注ぎ、他のことのために心乱れることがなくなりさえすれば、何事に臨んでも深く気にかけるということはなくなる。(中略)世の中のどんな難題や苦しみ・悩みに遭ったとしても、それで心がくじけて不忠・不孝・無礼・無道などの状態に陥(おちい)ってしまう心配はない。 決断すれば、後は「突撃」あるのみである。その際、一旦決めたことは、目標達成まで絶対に変更しないという覚悟が大切である。
12 君子は徳義なきを恥ぢ、小人(しょうじん)は名誉なきを恥づ。君子はオ能なきを恥ぢ、小人は官、禄なきを恥づ。(中略)小人の恥づる所は外見なり。君子の恥づる所は内実なり。(中略)抑々(そもそも)恥(はじ)の一字は本邦(ほんぽう)武士の常言(じょうげん)にして、恥を知らざる程恥なるはなし。武士の恥を知らざること今日に至り極まれり。 君子、つまり心ある立派な人間は、人として踏み行うべき義理の心が足りないことを恥じ、小人、すなわちつまらない人間は、名誉がないことを恥じる。君子は才能がないことを恥じ、小人は官位や俸禄が低く、少ないことを恥じる。(中略)小人が恥じるのは外見である。君子が恥じるのは心の内面である。(中略)だいたい、恥という一字は我が国の武士が常に口にする言葉であり、恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。その武士たる者が恥を知らないこと、今日ほどひどい状態は未だかつてない。 他人はだませても、自分の心はだませない。「恥を知れ」、かつては、これが我が国の懐かしい親父の叱責の常套句であった。心を鍛える教育、その復活の第一歩は恥の自覚であろう。
16 万事速かに成れば堅固ならず、大器は遅く成るの理にて、躁敷(さわがし)き事にては大成も長久も相成らざる事に之(こ)れあるべく候。 すべて順調に成長した人物は、意志が強く、他人に簡単に惑わされないかというと、そうでもない。立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するのが道理であって、騒々しい状態ではホンモノの立派な人物になることはない。 大切なことは、「大器」たらんとの志を持ち続け、人知れず、日々の努力を継続することであろう。無為な時間を過ごすだけで、ホンモノとなった人間などいない。
17 学問の大禁忌は作輟なり。 学問を進める上で絶対にしてはならないことは、やったりやらなかったりということである。 計画を立てるということ、何々をやるではない。何をしないかを決めることである。当面の課題に不要なことは一切しないと決めることである。そして、一旦決めたら、1、毎日(わずかでも)実行する。毎日毎日行う。2、達成時の自分を常にイメージする。3、自他に対して(できなかったことの)言い訳をしない。4、自分は選ばれた、特別な存在だと信じること。
20 大将は心定まらずして叶はず、若し大将の一心うかうかする時は、其の下の諸将(しょしょう)何程(なにほど)智勇(ちゆう)ありても、智勇を施すこと能(あた)はず、百万の剛兵義士ありと雖(いえど)も、剛義を施すこと能はず。 大将たる者は、決心しなければならない。もし大将の心がふらふらしている時には、その下の将軍らに、いくら知恵や勇気があっても、それを実際に施すことはできない。いくら百万もの人並みはずれた強い兵や節義をかたく守る武士がいても、それを実際の行動に移すことはできない。 大将はリーダー、指導者である。その最重要な職務は決断であろう。優柔不断な指導者を頂く組織の部下は悲惨である。すっぱりと断を下せる指導者でありたい。
21 聖賢の書を読みて切磋琢磨する処、是にいでず。是を武士の嗜みと云ふ。 聖人や賢人など、立派な人の書を読んで心を磨く、これ以外にはない。是を武士の嗜みと云う。 心を磨く方法、松陰は立派な古人の書を読むことという。しかし、何も難しい書を読むことだけではなかろう。日常の生活にも見つけることができる。
23 花、闌(たけなわ)なれば則(すなわ)ち落ち、日、中すれば則ち、昃(かたむ)く。人、壮(そう)なれば則ち老(お)ゆ。百年の間(かん)、黽勉(びんべん)の急ありて游優(ゆうゆう)の暇(いとま)なし。 花は満開となれば、やがて落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などはない。 人生を長いと感じるのは、若い時分だけであろう。・・・たった一回きりの人生である。これをやるために生まれてきたといわないまでも、これだけはやり通したという思いをもてるような生き方をしたいものである。自分だけでも納得する人生でありたい。
30 其の徒(中略)曰く、「遇不遇は天のみ、我れに於て何かあらん。我れは我が楽しむ所を楽しみ、以て慊らざることなかるべし。況や人の共に其の楽しむ所を楽しむあるをや」と。 嘉永2年4月7日「児玉君管美島軍事を拝するを賀する序」 その人が(中略)いった。「世に認められるか否かは全て天命である。私にとっては何の問題でもない。私は自分の楽しいと思うところを楽しみ、それで十分満足である。ましてや、他の人が一緒に私の楽しむものを楽しんでくれているのに」と。 挫折した時、ホンモノとニセモノの違いが分かる。ホンモノは決して腐らない。逆に、ニセモノは、途端に傷心が顔に出て、酒に走るか、色に走る。そして、人生を失うことになる。不遇を楽しむくらいの人間になりたいものである。
38 選挙の要は何程吏才之れあるものにても文武において一も長ずる所之れなきものは、決して御用ひ遊ばさる間敷く存じ奉り候。 大勢の中から適任な者を選んで任命する際のポイントは、どんなに役人としての才覚や能力がある者であっても、学問・武芸において、一つとして抜きんでているものがない者は、決して採用するべきではないと考えます。 一つの道を極めた人間、否、極めんと努力している人間は、それ故の人間的な魅力もあるし、また鍛えられた世界をもっている。そこで自得した幹こそが大切である。枝葉は自ずから派生する。目指すべきは幹である。ちゃらちゃらした枝葉作りに精を出し、無意味な人生とならないようにしたい。
41 自ら以て俗輩と同じからずと為すは非なり、当に俗輩と同じかるべからずと為すは是なり。蓋し傲慢と奮激(ふんげき)との分(わかれ)なり。 自分をくだらない人間と同じではないとすることは間違っている。くだらない人間と同じような人間にはならないようにしようとするのはよい。それは、思い上がることと、自分を奮い立たせることの違いである。 生きるということは慣れねばならないし、慣れすぎてもいけない。くだらない人間にだけはならないぞ、そのくらいの心意気は、いつまでも胸に秘めていたいものである。いつの日か、そんなことさえ全く気にならない人間になることを目指して。松陰も、後、27歳の折、そんなことには「深く意を留」めなくなったと述べている。
47 人を點醒(てんせい)す 人に暗示を与えて、悟らせる 點醒(てんせい)とは、人づくりの基底にある最も大切な教えではなかろうか。相手にもよるが、時に、その人の傍らにいるだけで、その人に接するだけで、俄然やる気を起こさせてくれる人がある。點醒的資質のある指導者というべきであろう。これは何も天性のものばかりとは限らない。人を指導する立場にある者は、努力によりこのような資質をこそ、自得していくべきではないか。
50 天下才なきに非ず、用ふる人なきのみ、哀しいかな。 世間に才能のある人がいないのではない。それを用いる人がいないだけである。何とも悲しいことである。 「人材がいない」という言葉を口癖としている指導者は、下を向かざるをえまい。松陰は、人というもの、育て方さえ間違えなければ、必ず育つ、ともいう。要は、それを信じ切ることであろう。
51 成し難きものは事なり、失ひ易きものは機なり。機来り事開きて成す能はず 、坐して之れを失ふものは人の罪なり。 なし遂げることが難しいのは事業である。失いやすいのは機会である。機会が来て、事業を始めても なし遂げることができず、何もせずにこの機会を失ってしまうのは、人の罪である。 「千載一隅」という。この人、この機会と信じたら、全てを懸ける勇気、大切にしたい。
52 楠公の言に曰く、「勝敗は常なり 少挫折を持って其の志を変ずべからず」と。 楠木正成の言葉によると「勝つことも 負けることも世の中のならい。少しの挫折でその志を変えるべきではない」と。 負けた時には、素直にそれを受け入れることが大切である。それまでの己の生き方、考え方などを反省し、次に続く糧となる発見、修正があるからである。人間はそうやって成長するものではなかろうか。しかし、もっと大切なことは、ちょっとした挫折で簡単に志を変更しないという強い意志をもつことであろう。
54 足下誠に才あり、才あれども勤めずんば、何を以て才を成さんや。今、歳将に除せんとす、学弛むべからず、一日を弛めば、将に大機を失せんとす。 お前は本当に才能がある。才能はあるけれども日々努力をしなければ、どうして才能が開花させ、自分のものとできようか。できはしない。今年もまさに暮れようとしている。学問をする気持ちをゆるめてはいけない。一日でもゆるめれば、学問の大切な機会を失ってしまうぞ。 たとえ年末であっても、松陰は、一日たりとも、気を抜いてはいけないという。大機に盆、正月はない。翻って、私共はいかがであろうか。
56 総じて大事を挙げ行う時は必ず衆議帰一の所を用うべし。是れ政の先著なり。 全てにおいて、大切なことを審議決定し実行する時には、必ずみんなの意見が一致したものを採用すべきである。これは政治を行う上で最も優先すべきことである。 衆議とは、リーダーが意志を決定した後、多人数で行う相談、また、その時の人々の意見をいう。松陰は一つにまとまった意見を大切にしなさいといういう。しかし、これは何も松陰のオリジナルではない。武士というものが共通して持っていた価値観である。民主主義なるものが、外国からの輸入品でないことの一つの証左である。
59 天道も君学も一の誠の字の外(ほか)なし。(中略)一に曰く実(じつ)なり。二に曰く一(いつ)なり。三に曰く久(きゅう)なり。(中略)故に実と一とを作輟(さくてつ)なく幾(いく)久(ひさ)しく行ふこと、是れ久(きゅう)なり。 世間一般の道も、君子たるの学問も、たった一つ、誠の字のほかにはない。(中略)一にいう、実際に役に立つことを行うことである。二にいう、それだけを専一に行うことである。三にいう、ずっと行うことである。(中略)だから、実学を専一に、やったりやめたりすることなく、ずっと行うこと、これが久である。 誠、まごころこそ、全ての行動の基本である。親に対しては、孝、主人に対しては忠という。問題は実践である。そえを松陰は、実・一・久という。よき考えを知ったとしても、実践しなければ、何の意味もない。また、専一に、継続することは、決して容易なことではない。しかし、あらゆる世界において、その道を極めた達人と称される人に共通しているのはこれである。いたずらに博識を誇ることなく、何か意図つのことを徹底的に追究する生き方、、恐れるべきではない。
61 天下久しく治安に慣れ、朝野に苟且(こうしょ)の論多く、群議或いは戦いを言い、或いは和を言うも、而も身を抜きんでて責に任ずる者なし。 我が国は長い間平和に慣れ、国家全体にその場限りの意見が多い。人々の議論をみると、ある時には戦えといい、またある時は講和すべきだという。しかしながら、わが身を以てその責任を担おうとする者がいない。 昔も評論家が多かったとのこと、感嘆の外ない。しかし、その評論たるや、その場その場の思いつきでしかなかろう。それでいて、したり顔をし、我こそは天下、国家を憂いている、と錯覚している。それ以上に困ること、彼等は決して身を以て責任を取ろうとしないことである。評論しっぱなし、これが実態。実に憂慮すべき、寒心すべき事態というべきである。
62 士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す 立派なこころある人は過ちがないということを重んじるのではない。過ちを改めることを重んじるのである。 古今東西、失敗のない人間はいない。失敗するからこそ成長するのである。失敗は、己を反省し、見つめ直す好機である。素直に改める心をもつことを松陰は勧めている。どんなに社会的地位を得ようと、いくつになろうとこのような気持ちを持ち続けたい。
64 栄辱によつて初心に負(そむ)かんや 栄誉と恥辱によって、初心に背いてよかろうか。背くべきではない。 世阿弥は、年齢、(芸の)それぞれの段階での初心を考えたといわれる。初心とは、ひたむきに、純粋に職務に励む一心、精進の意欲であろう。人は達し得たと感じた時、すでに退歩が始まる。常に次なる境地を目指し、工夫に工夫を重ねさせるもの、それが初心であろう。初心に帰ること、それは惰性に流れやすい生活を、初心の時のよき緊張に引き戻す工夫でもある。初めて、仕事についた時の初心を取り戻そう。栄辱に左右されるなど論外である。
65 命を知らざれば以て君子たることなし 天命を知れなければ、心ある立派な人であることはできない。 自分はこれをやるために生まれてきた、と心底から断言できるものと出会えた人は本当に幸せな人である。ほとんどの人は、探そうとした心さえ忘れ、日々の生活に流されて、そして消えていく。「天命を知って、後、人事を尽くす」。これこそが君子の生き方と聞く。今ある人生の意味、じっくりと考えてみたい。
67 万巻(まんがん)の書を読むに非ざるよりは、寧(いずく)んぞ千秋の人たるを得ん。一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりはいずくんぞ兆民(ちょうみん)の安きを致すを得ん 沢山の書物を読破するのでなければ、どうして長い年月にわたって名を残す、不朽の人となることができるだろうか。できはしない。自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。できはしない。 まずは、読書を怠らないようにしよう。そして、自分にかかる苦労を何とも思わないような男になりたいものである。
74 自ら其の暗劣(あんれつ)なるを忘れて日夜勉励し、古賢(こけん)を以て師と為す 自ら、(自分が)馬鹿で劣っていることを忘れて、いつもいつも勉強に励み、昔の聖人を先生とし、努力しなさい。 学問と学校での受験勉強は、全く異質なものであろう。それを同一と混同しているうちは、志が真の学問に向くことはない。私はさらに一歩進めて、学問とは日々、自分が人間として、また、一学究として、いかに至らないか、いかに馬鹿であるかを確認する作業と自覚している。よって、終わり
75 世人の、事を論ずる、浅き者は事の成敗を視、深き者は人の忠奸を視る、かくの如きのみ。 世間一般の人があることを論じるとき、心ない人は勝ち負け、結果を重視する。心ある人は、まごころかよこしまな心かをみる。 心情か結果か。企業活動などにおいては間違いなく結果であろうか。しかし、長いスパンでみれば、重視すべきは心情である。まごころをもっているか否かである。
76 仁愛ならざれば群する能はず、群する能はざれば物に勝たず、物に勝たざれば養足らずど。家を斉(ととの)へ国を治むるの道、此の一語に存す。凡そ人たる者思はざるべからず。 恵み慈しむ心がなければ、家や国家に人が集うことはできない。集うことができなまさまさければ、他の家、国家に勝ることはできない。勝ることができなければ、一家、国の人民を養うには不足するものがあろう。家をととのえ、国家を治める方法は、仁愛という一語の中にある。人間たる者、考えない訳にはいかない。 指導者に必須の心、それを松陰は、恵み慈しむ心という。しかし、現実の指導者たるや、権力を振りかざし、職務命令によって部下を操作しようとするタイプが案外多い。それで部下が付いてくるであろうか。心から職務に励むであろうか。答えは否である。相手の心が溶けるまで恵み慈しむ心で接し、善導することは、一見迂遠な道に見える。しかし、一旦心を開き、(上司を)信じてくれた部下は宝物となる。どちらがいいか。
80 知る所ありて、言はざること能(あた)はざるは、人の至情なり。 (よき教えを)知って、それを他にいわないではおられないのは、人のまごころである。 日々良書に接していると、思わず「これは」と、膝を打つ名辞・教えに出会うことがある。己が感動したことは翌日必ず口に上がり、聞く方にも大きな感動を与える。指導者たる物、「日に新たに、日々新たに」の精神で、己を鍛錬し続けることが大事な所以である。要は日々たゆまぬ努力である。
84 死して後巳(や)むの四字は言簡にして義広し。
堅忍果決(けんにんかけつ)、確乎(かっこ)として抜くべからざるものは、是(こ)れを舎(お)きて術(すべ)なきなり。
死而後巳(ししてのちやむ)の四字は文字は簡潔であるが、その意味する所は大変広い。意志が強く、我慢強く、思い切りがよい。また、しっかりしていて、容易に動かされない男子たるためには、これをおいて、他に手段はない。 「死して後巳む」、一度志したことは、死んで後初めて止める、つまり、完遂するまでは絶対に止めない、という意味である。意志を持ち続けることに優るものはない。意志のある所、何度失敗しようとも、前進は続く。敵に廻せば一番怖いし、見方なら一番頼もしい。
85 其の進むこと鋭き者は、其の退くこと速やかなりと。已むべきに於いて却つて已めず、薄くする所に於いて却つて暑くする者、一旦の奮激にてすることにして、真に誠より発し終始衰へざる者に非ず。故に其の進鋭の時に方りては、已めざる者も厚き者も或いは及ばざることあり。而して其の退くの速かなる、時去り勢変じ、索然跡なきに至る。 調子よく進む者は、退くことも早いという。やめるべき時にやめず、適当でいい時に、かえって手厚くする者は、一時的な感激で行っているだけである。本当にまごころから行い、ずっと(その気持ちが)衰えない者ではない。だから、その調子よく進めている時には、やめない者も、手厚くする者も、(心ある人でも)とても及ばないように見える。しかしながら、(そのような調子のいい人間は)退く素早さといえば、時勢が去り、勢いが変われば、全く跡形もなくなるようなものだ。 時代の波が右に寄せれば、調子よく真っ先に御輿を担ぐ。しかし、一旦波が逆にとなるや、そんなことなどどこ吹く風とばかり、「華麗なる変身」を遂げる。もっとも信用できない人間である。
86 自ら淬厲(さいれい)して、敢へて暇逸(かいつ)することなかれ。 自分から進んで人格修養に努め、決してのんびりと遊び、無駄な時間を過ごしてはならない。 大切なことは、「自分から進んで」ということである。いくらそこに宝があろうとも、それをよしとし、自得したいと思わなければ、何の価値もないものとなる。
89 己れを以て人を責むることなく、一を以て百を廃することなく、長を取りて短捨て、心を察して跡を略(と)らば、則ち天下いづくにか往くとして隣なからん。 自分の尺度のみで他人を批判しない。一つの失敗だけで、その人の全てを駄目だといって見捨てない。その人の長所を取り上げ、短所は見ないようにする。心中を察して、結果を見ないようにする。このような気持ちで生きれば、どこへ行こうとも人が集まってこないことがあろうか。ありはしない。 相手の立場に立って考え行動することは、大人たる最低条件の一つであろう。しかし、案外これができない人が多い。また、一つの失敗を以てその人を判断することは、よく見られることである。指導的立場にある者は、特に反省したい。
91 得難くして失ひ易き者は時なり。 得ることが難しく、失いやすいのは時である。 人生は一瞬一瞬の連続という。しかし、日々の生活の中で、その感覚はなくなっていく。それどころか、人生、永遠に続くかのような錯覚さえ抱く。一人の人間として、この人生を生きた証を、せめて何か一つ残したい。
94 即日より思ひ立ちて業を始め芸を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云はく、思ひたつたが吉日と。 やろうと思い立ったら、その日から学問や諸芸を始めなさい。どうして年齢の高低を論じる必要があろうか。ありはしない。諺にも、「思い立ったが吉日」という。 人間はある意味では矜持(きょうじ)、プライドの固まりといえる。矜持とは、決して譲れないことであり、堅持を要する世界である。しかし、こと学問の世界に関しては、有害でしかない。
96 山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なりと。 山は樹々をもって青々と茂り、国家は人物をもって盛んとなる。 国を企業とすれば、よく理解できる。基本はあくまでも人である。
101 聖賢(せいけん)の貴(たっと)ぶ所は、議論に在(あ)らずして、事業(じぎょう)に在(あ)り。多言(たごん)を費(ついや)すことなく、積誠(せきせい)之(こ)れを蓄(たくわ)へよ。 立派な人が大事にするのは、議論ではなく、行動することである。ぺらぺらしゃべっていてはいけない。人としての誠をしっかり蓄えなさい。 議論ではなく、実践すること。人づくりも企業経営も同じである。いくら高慢な理論や他者が行った成功例を知ったとしても、所詮は人のもの、実践していくらの世界である。究極は己である。その意味で、松陰が、人としての誠をしっかり積み重ねよと述べていることはうなずける。
108 一月(ひとつき)にして能(よ)くせずんば、則(すなわ)ち両月にして之(こ)れを為さん。両月にして能くせずんば、則ち百日にして之れを為さん。之れを為して成らずんば、輟(や)めざるなり。 (一旦立てた志というもの)1か月でやり遂げることができないならば、二か月かけてやればよい。二か月でできなければ、百日かけてやればよい。できないからといって決して途中で投げ出さないことだ。 人生における大切な志を完遂する人は案外少ない。多くは自他に言い訳をして妥協、そして知らん顔。日々の仕事も同様であろう。やると決めたことが遅れることは多々ある。そんなことは天命と笑おう。大切なこと、それは絶対に止めないという気概をもち、目的に向け、日夜吶喊し続けることである。
113 永久(えいきゅう)の良図(りょうと)を捨てて目前(もくぜん)の近郊(きんこう)に従ふ、其の害(がい)言(い)ふに堪(た)ふべからず。 将来にわたり続くよい計画を捨てて、目の前の手近な効果を取る、その害は言葉で表すことができないほど大きい。 私共は、あくまでも先人からバトンを受け継ぎ、次世代に渡すまでの存在でしかない。それもできるだけよきものとして。とすれば、時に先人の心にも静かに耳を傾けること、大切であろう。
114 能はざるに非ざるなり、為さざるなり。 できないのではない、やらないのである。 『孟子』の「為さざるなり、能はざるに非ざるなり」を受けた名辞である。新しいこと、壁に挑戦するからこそ挫折・感動があり、また、それを乗り越えることにより達成感もある。そこに人としての成長がある。
117 栄辱窮達(えいじょくきゅうたつ)毀誉得喪(きよとくそう)に至りては、命のみ天のみ。吾が顧みる所に非ざるなり。 自分にかかる栄誉と恥辱、困窮と栄達。また、悪口と誉め言葉、成功と不成功などに至っては、全て天命である。私が問題とするものではない。 人生はたった一度しかない。一回きりである。とすれば、こんな気持ちで生きたいものである。ところが、現実を見れば、ほとんどの人はこの人はこの反対だろう。人の噂が気になる。人の目が気になる。ライバルが気になる。それらは、自信がないことに発する。真の学問が足りないからである。志が確立されていないからである。
122 蓋し学びの道たる 己が才能を衒して人を屈する所以に非ず 人を教育して同じく善に帰せんと欲する所以なり 学の道は自分の才能を見せびらかして 人を見下すものではない 人を教育して 一緒によき人になろうとすることである。 世間には、何を聞いても即答、何でも知っているという方が大変多い。しかし、途中から、それは他者からの受け売り、表面的なことと分かるようになった。学問は、一つの分野でさえそう簡単に進むものではない。今は、知識をひけらかすということ、自分に自信のない裏返し、未熟と感じる。
125 時に遇ふも遇はぬも、皆天に任せて顧みず。我に在りては道を明らかにし義を正しうし、言ふべきを言ひ為すべきを為すのみ 時運に遇うも遇わないも、そんなことはみんな天に任せ、振り返りもしない。自分は人としての正し生き方を明らかにし、道義を正し、いうべきことをいい、行うべきことを行うのみである。 人間を相手にしているうちはダメだなと感じた。相手にすべきは点であると確信した。
126 禍福天より降るに非ず、神より出づるに非ず、己れより求めるざる者なしとなり。 禍(わざわい)や幸せは天から降ってくるのではない。神様から出てくるのでもない。自分から求めないものはないという。 禍も幸せも、その基本は自分の心である。何を幸せと感じるか、それで今の自分の精神状態が分かる。自分という人間が分かる。財産、地位、名誉、肩書等々、何を是としているか。全てそれは自分を写す鏡であろう。しかし、これらのもののうち、永遠なるものはない。全て移ろうものでしかない。とすれば、人生そのものも終始そんなものを追い求めることになる。そんな人生に真の喜びはあろうか。
128 君子は何事に臨みても理に合ふか合はぬかと考へて、然る後是れを行ふ。小人は何事に臨みても利になるかならぬかと考へて、然る後是れを行ふ。故に君子となること難からず。 心ある立派な人は、どのような事態に際しても、道理に合っているか否かを考え、その後で行動する。つまらない人は、どのような事態に際しても、利益になるか否かを考えて、その後で行動する。だから、心ある立派な人となることは難しいことではない。 小人(しょうじん)の行動基準は全て損得という。とすれば、現在の我が国、さしずめ小人国家というべきか。その中でも寒心すべきは、人づくり、すなわち教育という、国家の基幹に最もかかわる部分の実態である。戦いは幼稚園入試前から始まり、果ては帰幽時まで続く。基底にあるのは損得のみ。あらゆる年齢で不正が多発する所以(ゆえん)であろうか。有史以来、このような国家が栄えた例を、寡聞(かぶん)にして知らない。ここは、志を同じくする人々と、腹を据え、勇気を奮って、「間違っております」との声を大にする時であろうか。
129 人情は愚を貴(たっと)ぶ。益々愚にして益々至(いた)れるなり。 人情は愚直であることを大切にする。
愚直であればあるほど、人情は切実となる。
愚直とは、正直すぎて気のきかないこと(さま)、馬鹿正直をいう。

 

 

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