選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち
著者:キャス サンスティーン

内容紹介
ビッグデータが活用されるようになり、企業や政府は商品やサービスのデフォルト(初期設定)を容易に設定できるようになった。だがそれだと、私たちの「選択する自由」はなくなってしまうのではないか? いま注目のリバタリアン・パターナリズム進化させ、サンスティーンは「個別化したデフォルト」という回答を鮮やかに示す。

内容(「BOOK」データベースより)
ビッグデータが活用されるようになり、企業や政府はあなたに合った商品やサービスのデフォルト(初期設定)を簡単に設定できるようになってきた。だがそれだと、私たちの「選択する自由」はなくなってしまうのではないか?いつのまにか誰かに操られ、自分の頭で考えなくなってしまうのではないか?自分と同じ意見しか目にしなくなり、視野が狭くなってしまうのではないか?ビッグデータ時代にふさわしい自由と選択を追い求め、いま注目のリバタリアン・パターナリズムをさらに進化させる!

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯]
[目的・質問]
[分類] 331:経済学.経済思想「はじめに」に本書の主張が書かれていて、いい感じの導入です。

選択できるということは多くの場合、途方もない利益をもたらす一種の恩恵であるが、同時に多大な負担を強いる一種の災いにもなりうる。時間と注意力は貴重であり、たとえ自分の利益や価値が脅かされるとしても、すべてに注意を向けてはいられない。自分に影響を及ぼすあらゆるものごとについて選ばなければならないとしたら閉口するだろう。学習は高くつくことであり、つねに楽しいとは限らない。ときには選択しないことを選択して自由を行使することで、われわれの福祉が向上することもある。選択しないという選択によって自分のための時間と空間が生まれ、本当に関心のあることに注意を向けられるようになる。本社ではこの主張が正しいことを証明する一方で、その限界を明らかにする。(p.1)
本書では4つの目標を掲げる。(pp.19-22)

  1. 最も総合的な目標として、目的にかなったデフォルト・ルールは、われわれが選択する手間を省いて、生活をよりよく、より自由にするのに役立つことを明らかにする。デフォルト・ルールは絶対に必要であり、人間はたぶんそれなしではやっていけない。
  2. デフォルト・ルールがいつ重要で、いつ重要でないか、またそれはなぜかを理解する。
  3. 人がいつ、どういう理由で選択したがるか、あるいは選択しないことを選択するかを探る道程で、能動的選択がふさわしい場面を明らかにする。
  4. 個別化(個人に合わせてカスタマイズ)したデフォルト・ルールの用途と限界を探る。

これらの仮説に基づいて、結論にむけて、説明がされていきます。そして、結論は次のように導かれています。

私はこれまで、つぎの3つの可能性のいずれかの選択にかなり注目してきた。すなわち、個別化していないデフォルト・ルール、能動的選択、そして個別化したデフォルト・ルールである。どれが最善かを判断するには、判断のコストと誤りのコストを検討する必要がある。厚生主義に根差したこの枠組みは完全ではないが、この領域の多くの要素を捉えている。広範囲にわたる主張をまとめて3つの指針を示そう。

  1. 関連する集団が多様でない場合、選ぶことを楽しめない場合、また個別化していないデフォルト・ルールが構成員の情報に基づいた選考を満足させる場合には、能動的選択を要求したり、デフォルト・ルールを個別化しようとするよりも、個別化していないデフォルト・ルールを選ぶのが一般に最も賢明である。このような状況では、個別化していないデフォルト・ルールは福祉を促進するという意味でうまく機能する。根本にある問題が複雑でなじみがない場合、能動的選択は利益ではなく負担となるかもしれない。そのかぎりにおいて、デフォルト・ルールを支持する論拠は補強される。主な制限は、学習と行為主体性が重要ならば、デフォルト・ルールの利用にもかなりの反発が起こることである。
  2. 集団が相対的に多様な場合、選択することが実際に好まれる場合(おそらく選択することが楽しいため)、学習と行為主体性が重要である場合、あるいは官民の組織が信用できない、もしくはどのデフォルト・ルールが最適かについてのまともな情報がない場合には、能動的選択がかなり有利である。これらの条件のいずれかが該当すれば、個別化していないデフォルト・ルールに反対し、能動的選択を支持する論拠となる。すべての条件が該当する場合、その論拠はかなり強力になる。
  3. 集団が相対的に多様な場合、選択が利益ではなく負担となる場合、個別化したデフォルト・ルールが正確である場合には、それらは個別化したデフォルト・ルールに対する有力な論拠となる。人間は多様なので、個人に対応することはおおいに利益をもたらすはずだ。選択が歓迎されない負担となる場合、能動的選択を支持する主張は弱まる。少なくとも選択アーキテクトが情報を持っていて、しかも信用できる場合、個別化したデフォルト・ルールは「一つですべてに対応」するデフォルトにかかわる問題を小さくし、能動的選択の利益の多くをもたらす可能性がある。選択アーキテクトが信頼できるなら、個別化したデフォルトをつねに支持するもっともな論拠となるが、その主張は学習と行為主体性が重要である場合に覆されるかもしれない―これは能動的選択を支持する際に繰り返される点である。

個別化したデフォルト・ルールは多くの領域で今後の流れとなっていく。多様な人々が情報に基づいて判断した選択についての大量の情報が利用できるようになるに伴い、個別化が大幅に進むのは避けられないだろう。来たるべき波はすでに動き出している。それが重大なリスクを生むであろうことを誰も疑うべきではない。プライバシー、学習、自己の能力開発の重要性―そして多くの状況で能動的選択を要求することの必要性を私は力説してきた。しかしおおいに楽観視する理由がある。時間は貴重である。おそらくほかの何よりも貴重であり、もっと時間があればもっと自由になり、より多くの能動的選択ができるようになる。場合によっては、選ばないことが最善の選択である。個別化したデフォルト・ルールは、われわれがよりシンプルに、より健康的に、そしてより長く生きられるようにしてくれるだけでなく、もっと自由になれると約束してくれる。(pp.219-221)

「選択しない」ですむようにデフォルトが最適であればもっともよいのですが、それもわかりませんし、結局は「妥当性」とか「臨機応変」という要素、またその選択に対する本人の「こだわり」などで、選択に関するコストと天秤にかけて、適切に対応していきたいものです。

こういった考え方を持っているだけで、コスト削減はできそうな気がします。

どの選択方法を選択するか、「重要性」×「緊急性」に基づいた判断基準によてそれができるよう、意識しておきたいと思います。

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