講座・企業家学:転換期における金融業の生き残り戦略

<第8回>
転換期における金融業の生き残り戦略
~廣岡家:加島銀行から大同生命への継承
(東北大学大学院経済学研究科准教授  結城武延)
場所:大阪企業家ミュージアム(11月19日)

NHKの朝ドラの「あさが来た」の広岡浅子は、アイスブレイク程度で、彼女の娘婿である広岡恵三の広岡合名会社~加島銀行、加島信託、大同生命といった昭和恐慌前後の歴史を交えたお話しでした。

今回のこの企業家学においても、これまでの流れを汲んだいかにして信頼を得るか、ということ。目先の利益ではなく、近江商人の「三方よし」を実現するかということを強く感じました。

そのエピソードとしては、「なぜ大同生命は生き残れたのか?」ということ。それは、昭和金融恐慌をどう乗り切ったか、何を第一にして意思決定をしていたったかということで、世の中の信頼を勝ち取ったかということが分かります。

昭和金融恐慌によって、それまでに経営上問題のあった銀行が破綻した。それが銀行の再編を促し、銀行経営は健全化され、金融市場の不安定性が改善された。
加島銀行の経営状況を分析した結果、預金引き出し直前までむしろ好成績。加島銀行が整理に追い込まれた理由は、拡張期に金融恐慌が重なったこと。手形貸付中心の貸付業務によって震災手形が不良債権化してしまったことなどが考えられる。
広岡家が家業である金融業を続けていくためには銀行業から撤退し、保険業一本にシフトする必要性=一家一業主義における利害関係者に損害を与えない形で残務処理をしなければならなかった。

残務処理は次のように行われたとのことです。

広岡家は家産を売却し外部の資金提供者に一切迷惑をかけない形で問題を処理し、広岡家の信用を何とか維持し続けた。そして一家一業主義で生命保険に特化することで、財閥系金融機関による資本集中の流れの中で、生き残りを図った。

当時の資産家の家産っていったいどれだけあったんだろうか・・・・と想像してしまいますが、いずれにしても「信用の維持」を貫いた姿勢には学ぶべきものがあります。

前々回の近江兄弟社のときにも出てきた「報徳思想」に近いものを感じました。あらためて、報徳思想について興味を持ち、調べてみたところ、うまくまとめられているページがありましたので、ご紹介いたします。

二宮尊徳の教え「報徳」

 「報徳思想」とは「至誠(しせい)」を基本とし、「勤労(きんろう)」「分度(ぶんど)」「推譲(すいじょう)」を実行するという考え方で、この「報徳思想」を実践するのが「報徳仕法」です。二宮尊徳は報徳思想を広め、実践することにより、ききんや災害などで困っていた多くの藩や村を復興しました。

  • 至誠  「まごころ」のこと。二宮尊徳の仕法や考え方、そして生き方の中心となるもの。
  • 勤労  物事をよく観察・認識し、社会の役立つ成果を考えながら働くこと。
  • 分度  自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それぞれにふさわしい生活をすることが大切。また、収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活することが必要。
  • 推譲  将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)。また、他人や社会のために譲ること(他譲)。

私も経営学やマーケティングを勉強する中で、勉強の内容が「仕組み」に偏りがちでしたが、この企業家学を受講していて、やはり「人」であり、その人の「考え方」こそが大きな要素であることを改めて感じさせてもらっています。

そんな中で、PHP出版から「日本の企業家」というシリーズが発売されるようなので、これらを読むことで、経営者の思想そのものにも迫ってみたいと思っています。

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