ルービンシュタイン ゲーム理論の力

ルービンシュタイン ゲーム理論の力

ルービンシュタイン ゲーム理論の力
著者:アリエル ルービンシュタイン

内容紹介
超一流の経済学者は経済学をどう考えているのか。
経済学のあるべき使い方がわかる。経済学に関わるすべての人に贈るアドバイス。著者の人生にひきつけながら、ゲーム理論、交渉、合理性、ナッシュ均衡、解概念、経済実験、学際研究、経済政策、富、協調の原理などの基礎概念が語られる。内容(「BOOK」データベースより)
経済学にかかわるすべての人へ。経済や人間関係を考えるうえで、本質は何か?経済理論に人間的な温かみを与える。

★読書前のaffirmation!
[きっかけ・経緯] 原題は“Economic Fables”・・・経済の寓話、分かりやすさに期待を持って…挑戦。
[目的・質問] この原題と邦題のギャップは如何に?
[分類] 331:経済学.経済思想

著者のアリエル先生は、ゲーム理論の大家で、交渉ゲームの基本文献として常に挙げられる2本の論文・・・・1本目はもちろんナッシュの交渉解に関する論文であり、2本目が、そのナッシュ交渉解を交互提案ゲームの均衡として導き出したアリエルの論文というほどの方です。

彼は経済モデルを「科学」ではなく、「寓話」ないし「物語」として捉える。寓話はポイントを絞り、「人生の理」をわれわれに伝える。経済モデルもそれと同様、「社会の理」を伝えるというわけだ。(p.iv)

そして、そんな大家が次のように述べているということは非常に興味深い。

学者ならば、自分の発言内容のどの部分が自らの専門的知識を反映したものであるかを明らかにしなければなりません。・・・そして、だからこそ、曇るところなく、臆することもなく、それどころかいくばくかの誇りと共に、ここでの私の言葉が何ら私自身の学問的知識に関係のないことをはっきりお知らせしておきます。・・・私の理解が正しければ、経済理論はいま議論している問題の核心について何も教えてはくれません。選択肢がなにであるのかを私が把握しているかどうかすら定かではありません。たとえば、明日のインフレ率や、明後日の製造業生産指数を私は予測しようとしているわけではありません。・・・では、私がなぜここに来たのかを皆さんは問うでしょう。私は、一経済理論化として、巷の経済問題に関する議論で経済理論が濫用されていることをお伝えしに参りました。控えめに言っても、私はこの濫用を好ましく思っていません。(p.vi)

そして、彼の弟子である松井彰彦先生も次のようにはしがきで書いている。

彼は経済モデルを文学になぞらえる。すぐれた文学はぼくたちの感性を豊かにし、人生に関する洞察を与えてくれる。それと同様、すぐれた経済モデルはぼくたちの感性を豊かにし、社会に関する洞察を与えてくれる。それこそが理論の力である。(p.vii)

さて、アリエル先生が書かれた本文を読んでいきましょう・・・・。

大学に入って3年目、・・・ヤーリはアマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』という素晴らし本を私に薦めました。・・・この本を読んだとき、2つのことに気づきました。まず、経済学は面白いということ、それはまったく思いもよらないことでした。・・・センの本を読んだのち、私たちがカフェテリアで話していたことは事実、経済理論の核心への紛れもない突撃だったと気づいたのです。経済理論は人と人の関係に関する抽象的な概念を厳密に考察しているからです。そして経済理論の思考ツールこそ数学モデルなのです。(p.20)

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アマルティア・センさん:
アマルティア・セン(ベンガル語:অমর্ত্য সেন、ヒンディー語:अमर्त्य सेन、英語:Amartya Sen、1933年11月3日 – )は、インドの経済学者。哲学、政治学、倫理学、社会学にも影響を与えている。アジア初のノーベル経済学賞受賞者。1994年アメリカ経済学会会長。

経済理論では、ハリー・ポッターや、裸の王様、ソロモン王の物語のように、想像の世界を楽しみます。経済理論派物語を紡ぎ出し、それをモデルと呼びます。経済モデルもまた架空の世界と現実の間のどこかにあるのです。モデルは単純で非現実k的であると弾劾されることもありますが、モデルを作ることは不可欠なことです。なぜなら、概念を明確にして前提を評価したうえで結論を確たるものとし、モデルの世界から戻るときに現実の生活において大変役に立つ洞察を与えてくれる唯一の方法だからです。現代経済学では、物語は論理的に表現されています。つまり言葉は記号によって代替されています。経済概念は数学的枠組みの中に据えられています。(p.21)

そんなふうに捉えると、経済理論に対してすごく興味が湧きます。経済理論を教える指導教員も、つかみはここから入っていくべきかもしれません。

経済モデルを記述することは、物語の始まりに似て、ヒーローや、かれらの目的、任務を行う状況を説明します。始まりから終わりに向かってモデルが進行「可能」となる一連の規則は解概念と呼ばれます。同一のモデルに複数の解概念を、前提の妥当性によって比べ、多くのモデルに適用できるものが好まれます。論理言語によって話し手は原則を遵守するよう要求されますが、経済物語の結論はモデルの中で形成された前提と、定められた解概念に従って導出されなければなりません。(p.23)

解概念についてのさらなる定義は、wikipediaによると次のように書かれています。

ゲーム理論における解概念 (かいがいねん,英: solutions concept) とは,ゲームがどのようにプレーされるかを予測する形式的規則である.この予測は「解」と呼ばれ,プレーヤーたちがどの戦略を採用し,ゲームの結果がどうなるかを記述する.もっとも一般的に用いられている解概念は,ナッシュ均衡として有名な均衡概念である.
多くのゲームにおいて,多数の解概念は複数解をもたらす.このため,その複数の解のどれも不確かなものになる.そこでゲーム理論家は,精緻化 (refinement) を行い複数解を絞りこもうとする.
最大化のために具体的な行動をとる過程を実際に経て意思決定が得られたのかどうか、伝統的な手法に従えば、経済学者は関心がありません。つまり、とある目的関数を最大化する選択肢を意思決定者が選んだのかどうかに関心がないということです。経済学者にとって唯一大事なことは、意思決定者の行動があたかも最大化を行ったかのように表現可能であるということです。(p.58)

これは新しい気付きです。確かにそうです。しかしマーケティングにおける購買決定プロセス(たとえばAIDMAなど)を考えると、購買に至るまでのプロセスに大きな力点が置かれ、たとえば、WEB広告マーケティングにおいても来訪があって、購買商品のページの閲覧があって、最終的に購買という流れの中でプロセスごとに率を取っていったりするわけですが、各プロセスごとにも意思決定があると捉えるか、あるいは最終意思決定の結果だけに着目するか、このあたりは学問的な焦点の当て方の違いもあり、一つの気づきとなりました。

学生のときに、経済理論のモデルでは意思決定者が意識的に選好を最大化しようとしていることを仮定しているわけではなく、意思決定者の行動があたかもなんらかの目的関数を最大化しているかのように表現できると見なしているにすぎないと悟った瞬間を覚えています。「あたかも」という言葉はそのころの私にとって魔法でした。突然、経済学がそれまで考えていたよりももっと抽象的で洗練されたものに思えました。洗練されているがために騙される可能性もあるのだと気が付くまでさらに数年かかりました。・・・しかし、まったく明らかでないことがあります。意思決定者の行動を表現するのに用いられた選好と幸福の度合いとの対応関係です。意思決定者の行動が何らかの目的関数を最大化した結果として表現できるとしても、その目的そのものは意思決定者の幸福を増すことに関係ないかもしれません。たとえば、意図的に「誤った」目標を達成しようと努めることも可能です。以下は、通常ではありえないものです。何が幸福か分かっている意思決定者が、首尾一貫して幸福を減じる行動を取るとします。このような人は経済学者から見れば明らかな目標を最大化しているという点で合理的とみなせます。つまり、可能な限り自分の状況を悪化させるという点においてです。しかしこの人物の行動を表現する選好によって幸福というものを定めようとすると、まるで自分が不幸せになればなるほど幸せになることになります。これは具合のいいものではありません。(pp.60-61)
その昔、経済理論の隠された宝物を見つけてぞくぞくとしたころには魔法の言葉として感じましたが、あらためて述べると、「あたかも」という言葉はそれ以上のものです。意思決定者をなんらかの目的関数を最大化する者として描くだけでなく、自分の幸福を表す関数を最大化する者としてとらえることが、経済理論の前提にあります。「あたかも」という文句は、経済モデルが依って立つ強い仮定に対する責任を回避する方法なのだと最終的に悟りました。(p.61)

以下、ゲーム理論の解概念について、寓話を使って説明するという展開になります。

 

著者について
アリエル・ルービンシュタイン
テルアビブ大学、ニューヨーク大学経済学教授
1951年生まれのイスラエルの経済学者。テルアビブ大学、ニューヨーク大学経済学教授。専門はゲーム理論、限定合理性の研究。1982年にEconometrica誌に掲載された論文“Perfect Equilibrium in a Bargaining Model”(「交渉モデルにおける完全均衡」)で交渉理論に重要な貢献をし、そのモデルは「ルービンシュタインの交渉モデル」と呼ばれるようになる。マーティン・オズボーンとともに著したA Course in Game Theory(1994)はゲーム理論を学ぶ者にとっての古典的教科書となった。
米国芸術科学アカデミー、米国経済学会の外国人名誉会員であり、1985年にはエコノメトリック・ソサエティのフェロー(終身特別会員)に選出、2004年にはその会長を務めた。

松井 彰彦(マツイ アキヒコ)
東京大学大学院経済学研究科教授
1985年東京大学経済学部卒業、1990年ノースウエスタン大学Ph.D. (M.E.D.S.)、同年ペンシルバニア大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授等を経て、2002年より現職。専門はゲーム理論、貨幣理論、障害と経済の研究。
査読論文に “Cheap-Talk and Cooperation in a Society” (JET, 1991) ほか約30篇。著書に『慣習と規範の経済学』(東洋経済新報社、第46回日経・経済図書文化賞)、『高校生からのゲーム理論』(ちくまプリマー新書)など。
日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞、日本経済学会中原賞。2016年度日本経済学会会長。エコノメトリック・ソサエティのフェロー(終身特別会員)、同カウンシル・メンバー(評議員、極東地区)。

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