エコノミスト・ウォーク―経済学者の足跡をたどる英国の旅―


タイトル:エコノミスト・ウォーク―経済学者の足跡をたどる英国の旅―
まちライブラリー@大阪府立大学 第26回Academic Cafe
講師:近藤 真司(大阪府立大学大学院 経済学研究科 教授)

日時:2016/8/5(金) 18:30~20:30
場所:I-siteなんば

大阪府立大学大学院の経済学史がご専門の近藤先生の講義。概要は以下の通り。

経済学の発祥の地は英国です。現在、英国で使用されている20ポンド紙幣はアダム・スミスの肖像画が描かれています。スコットランドは経済学の父と呼ばれるアダム・スミスを生み出し、ケンブリッジ大学はケンブリッジ学派と呼ばれるマーシャルやケインズなど経済学者の一団を形成しました。『資本論』の著者マルクスはロンドンのブリティッシュ・ライブラリーでその著を書き上げています。経済学者の研究の足跡と彼らの足どりをたどりながら、英国と経済学の歴史を考えてみたいと思います。

アダム・スミス → リカード → マルサス → J.S.ミル →
ケンブリッジ学派
・アルフレッド・マーシャル
「Warm heart but cool head」
・アーサー・セシル・ピグー
「驚きは哲学の始まり、社会への情熱は経済学の始まり」
・ケインズ

 

というような経済学者の説明をしてくださり、復習になりました。
そして、先生のお気に入りのケインズの言葉を最後紹介してくださいました。

経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。にもかかわらず優れた経済学者は稀にしか生まれない。このパラドックスを解く鍵は、経済学者がいくつかの全く異なる才能を持ち合わせなければならない、というところにある。彼は数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。記号を理解し、しかも言葉で語らなければならない。個々の問題を一般的な視点にたって考えなければならないし、抽象と具体を同時に兼ね備えた考察を行わなければならない。未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない。(吉川洋「マクロ経済学」(2001),P.40)

和約によって、ニュアンスも若干違う気もしますが、下記はそのあとの文章も引用したものです。

経済学者の研究は、非常に高度な専門的資質を必要とするものではない。それは、知的見地からいって、哲学や純粋科学などのもっとも高度の部門と比較すると、むしろ容易な問題だ、と言えるのではないだろうか。にもかかえわらず、すぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類いまれな存在である。やさしいにもかかわらず、これに抜きんでた人のきわめて乏しい学科!このパラドックスの説明は、おそらく、経済学の巨匠はもろもろの才能のまれに見る結合をもたなければならない、ということのうちに見いだされるであろう。経済学者は、ある程度まで、数学者であり、歴史家であり、哲学者でなければならない。彼は記号を理解し、しかも言葉で語り、特殊なものを一般的な形で考え、その思考の過程で、具体的なものにも抽象的なものにも触れなければならない。彼は未来の目的ために、過去に照らして現在を探求しなければならない。人間性や制度のどのような部分も、彼の関心外にあってはならない。彼は、その気質において、目的意識に富むと同時に、公平無私でなければならず、芸術家のように高く飛翔しうるとともに、しかもときには、政治家のように大地に接近していなければならない。

他に面白かったのが、「なぜ経済学を学ぶのか?」という問いに対してのジョーン・ロビンソンは次のように言ったとのことです。
「経済学を学ぶ理由は経済学者に騙されないためだ」

実に面白い。経済学は為政者が学び、都合のよいように使うことに対して対抗するという意図のようです。

近藤先生、ありがとうございました。
しっかり復習ができました。

 

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