GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代
著者:アダム グラント

★読書前のaffirmation!
[目的] 監訳が楠木建先生ということで読んでみました。
[質問] 楠木先生の専攻との関連はどのあたり?

先日、楠木先生の講演を拝聴し、その後先生の著作を読んでいっているわけですが、こちらはご本人の著作ではありませんが監訳されているということで手に取ってみました。

そもそも、「翻訳」と「監訳」。翻訳は、翻訳者が自ら訳したもので、監訳は誰かが翻訳したものを、監修したというように理解しています。商業的には、監訳者に著名な人(特に、ちょうど直近でベストセラーを出した人などが多いように思いますが・・・)を掲げ、はしがきなどを書いてもらうということがよく見受けられます。さて、こちらもその例に違わず・・・と言ったところでしょうか。

では、読んでいきましょう。

大きな成功を収める人々には3つの共通点がある。それは「やる気」「能力」「チャンス」だ。成功とは、勤勉で、才能があり、かつ幸運な人々によって達成されるものである。さらに第四の要因がある。極めて重要であるにもかかわらず、なおざりにされがちなこと―そう、成功とは、人とどのように「ギブ・アンド・テイク」するかに大きく左右されるかということだ。・・・ギブ・アンド・テイクの関係において、どのくらい与え、どのくらい受け取るのが望ましいと考えるかは、人によってまったく異なることを発見した。(P.26-27)
一方を「テイカー(受け取る人)」、もう一方を「ギバー(与える人)」と呼ぶことにする。
「テイカー」は常に、与えるより多くを受け取ろうとする。・・・相手の必要性よりも自分の利益を優先する。テイカーにとって、世の中は食うか食われるかの熾烈な競争社会だ。
「ギバー」はギブ・アンド・テイクの関係を相手の利益になるようにもっていき、受け取る以上に与えようとする。ギバーとテイカーは他人に対する態度と行動が違っている。
テイカーが自分を中心に考えるのに対し、ギバーは他人を中心に考え、相手が何を求めているかに注意を払う。
・・・しかしいざ職場となると、ギブ・アンド・テイクはもっと複雑なものになる。仕事においては、ギバーかテイカー化にはっきりと分かれることはほとんどなく、たいていの人が第三のタイプになる。それが、与えることと受け取ることのバランスをとろうとする「マッチャー」だ。マッチャーは常に“公平”という観点に基づいて行動する。だから人を助けるときは、見返りを求めることで自己防衛する。マッチャーは相手の出方に合わせて、助けたりしっぺ返しをしたりしながら、ギブとテイクを五分五分に保つのである。(P.27-29)

ギバーはほとんどいないと本文では書かれています。でもそれは欧米の場合で日本だとそうではないように思います。(楠木先生もそれについては指摘されています。)

テイカーはリスト1にある価値を好むのに対し、ギバーはリスト2の価値を優先する。・・・大部分の人がテイカーの価値よりギバーの価値を支持した。(P.52-53)

リスト1 リスト2
★富
金銭、物質的な財産
★援助
他人の幸福のために働く
★権力
支配的な地位、他人の支配
★責任
信頼性
★快楽
人生を楽しむ
★社会主義
恵まれない人々を気遣う
★勝利
他人より勝る
★同情
他人の必要性に応える

そりゃそうでしょうね。自分はどうあれ、ギバーの人と働く方が働きやすいですよね。

 

成功しているギバーは、4つの重要な分野―人脈づくり、協力、人に対する評価、影響力―で、独自のコミュニケーション法を用いる。(P.59-60)
「人脈づくり」・・・新しく知り合った人々と関係を培い、以前から付き合いのある人々との結びつきを強めるための画期的なアプローチ。
「協力」・・・同僚と協力して業績を上げ、彼らの尊敬を得られるような働き方。
「人に対する評価」・・・才能を見極めてそれを伸ばし、最高の結果を引き出すための実用的なテクニック。
「影響力」・・・相手に自分のアイデアや関心事を支持してもらえるようなプレゼンテーション、販売、説得、交渉をするための斬新な手法。
調査によれば、たいていの人は、フェイスブックのプロフィールを見ただけでテイカーかどうかを見分けることができるという。・・・テイカーは、ナルシスティックな、実物以上によく見える自分の写真を投稿していた。フェイスブックのプロフィール写真は「ややきわどい」と評価された。露出度が高く、慎み深さに欠けていたからだ。投稿している情報は、押し付けがましく自己中心的で、もったいぶっているとみなされ、使っている引用も、傲慢な印象を受けると評価された。テイカーはまた、フェイスブックの「友達」がやたらと多かった。自分をよく見せるために、上辺だけのコネクションをせっせとつくり、頼みごとができるように連絡を保っているのである。(P.80-81)

なるほど。有名人になると急に親戚が増える・・みたいな感じでしょうかね。でも自分があの人と知り合いだ・・・などと言って自分をよく見せることってあったりしますもんね。(大して知らなくても・・・)

驚いたことに、多くの人は弱いつながりのほうからずっと多くの利益を得ていたのである。ほぼ28%が、弱いつながりから仕事の情報を得ていた。強いつながりは「絆」を生みだすが、弱いつながりは「橋渡し」として役に立つ。新しい情報により効率的にアクセスさせてくれるからだ。強いつながりは同じネットワークのなかだけで交流するので、同じ機会を共有することが多くなる。それに対し、弱いつながりは、異なるネットワークのほうに、より開かれているので、新しいきっかけを発見しやすくなるのである。だが、ちょっとした難点もある。それは、弱いつながりに助けを求めるのは難しいということだ。・・・しかし、抜け穴を見つけた。それは、強いつながりの信頼関係と弱いつながりの新しい情報とを、セットで利用できる方法である。カギは「リコネクト(再びつながること)」だ。これこそ、ギバーが最終的に成功することになる大きな理由なのである。(P.93-94)

ネットワークの使い方ですね。そういう意味では僕も最近は懇親会なども積極的に参加するようにしていますが、そういった「弱いネットワーク」をしっかりと広く作っておくことは後々意味がでてくることもあるでしょうね。これからも積極的に作っていくようにしたいと思います。

ギバーは緩い話し方をすることで、相手に「あなたの利益を一番に考えていますよ」というメッセージを伝えている。だが、控えめに話さない方がいい立場が一つだけある。それは、リーダーシップを担っている場合だ。・・・しかし、強気のコミュニケーションはその場限りの面接では効果的だが、チームワークやサービス関係では、チームのメンバーの尊敬や賞賛を失う要因となる。(P.239)
調査では、知識のある同僚にしょっちゅうアドバイスwや助けを求めるている人は、まったく求めない人よりも、上司の受けがいいことが分かっている。自分のエゴを守ることや、確信をもって話すことにこだわらないギバーは、弱く見られようと一向に気にしない。ギバーがアドバイスを求めるのは、純粋に他人から学びたいと思っているからだ。マッチャーが人に意見を聞くのをためらうのは、別の理由がある。それは、返さなければならない借りができると思っているからだ。人助けが大好きなギバーにはこれは問題にならない。(P.244)
ギブ・アンド・テイクのやり方に関係なく、人間というのはアドバイスを求められるんゴア大好きなのだ。誰かにアドバイスをすると、テイカーは自分が偉くなったような気になるし、ギバーは人の役に立てたような気になる。(P.247)
テイカーが「利己的」で、成功できないギバーが「自己犠牲的」なら、成功するギバーは「他社志向的」と言っていいだろう。自分を犠牲にして与えていれば、すぐにボロボロになってしまうだろう。「他社志向」になるということは、受け取るより多くを与えても、決して自分の利益は見失わず、それを指針に、「いつ、どこで、どのように、誰に与えるか」を決めることなのである。他社への関心に自己への関心がかなり結びつけば、ギバーは燃え尽きたり火傷したりすることが少なくなり、成功しやすくなる。(P.254-255)
ギバーが燃え尽きるのは、与えすぎたことよりも、与えたことでもたらされた影響を、前向きに認めてもらえていないことが原因なのである。ギバーは、与えることに時間とエネルギーを注ぎ込み過ぎるせいで燃え尽きるのではない。困っている人をうまく助けてやれない時に、燃え尽きるのである。(P.264)
ギバーは、愛想のいいテイカーを額面通りに受け取って、困ったことになる。テイカーは如才なく、愛想がいいという印象を与えるが、与えるよりはるかに多くを手に入れようとしてることが多い。相手の真意を見極め、愛想のいいテイカーをペテンだと見抜けるようになることが、ギバーが食い物にされないための防衛策だ。リサーチではギバーはマッチャーやテイカーより、直感的に相手の真意を見極め、他人を正確に判断できることが分かっている。ギバーのほうが、人の振る舞いや考え、気持ちに敏感なので、テイカーの手掛かりを見つけやすいのだ。(P.299)

なるほど、確かによく観察して、この人はこんな人ではないか・・・というのはある程度分かってる気がします。でも決めつけないようにしています。

 

ギバーがほかの誰かを擁護する場合は、いくら強引であっても、それは「他人の利益を守り、背中を押してあげたい」というギバーの価値観にしっかり沿ったものなのだ。関係説明することで、ギバーは自分が単なる他人の代理人ではないと思える。他の人の代理人として振る舞うことは、ギバーとしての自己イメージと社会的イメージを保つための効果的な方法なのだ。(P.319)

これ確かにそうです。自分のためにだと「言い過ぎだ」と思って控えめにしてしまうことでも、他の人のためだったらそれはできます。これはギバー的な自分の欠点を補う上での武器というか潜在意識として使いこなしたいですね。

バウアーは、同僚に対する責任感をはっきりと顧客に表現できるようになった。「顧客が理屈に合わない要求をしてきても、そんあことに応じればチームに無理をさせることになるし、下手をすれば過労死させてしまうだろうと説明し、断ります。顧客には、私が同僚のためなら必死になることが分かっているので、私が断ると、その分インパクトがあるのでしょうね。それ相当の理由があるのだと察してもらえるみたい」(P.320)
心理学者のブライアン・リトルは、ギバーが人間の第一の天性であったとしても、成功できるか否かは、マッチャーを自分の第二の天性にできるかどうかにかかっていると主張している。成功するギバーの多くが、人はみな善人だという信念から出発するが、同時に、周囲の状況を注意深く観察して潜在的なテイカーを割り出す。そして必要とあれば、テイカーの感情を思いやるのではなく、その思考を分析し、無条件に与える代わりに、より計算されたアプローチ、すなわち、寛大なしっぺ返しで対応するのだ。万一、おとなしく引き下がって自分のことをあと回しにしそうになっても、自分は大切な人の利益を代表していると思えば、しっかり自己主張することができるのである。(P.328)

ざっと読み終えましたが、自分がおそらくギバーでちょうど7章に出てくるバウアーのように自分を犠牲にしてしまいがちでしたが、代弁者であったり代表者であるという意識を持てば、よりあるべきことを主張するための力強さを得ることができるということを確認できたことは大きかったです。

さて、改めて冒頭の「監訳者の言葉」を読みましたが、楠木先生の専門に関して直球ではない気がしました。

いうまでもないことだが、本書は自然科学で言うような「法則」を提示するものではない。法則とは、いつでもどこでも再現可能な一般性の高い因果関係を意味している。本書は人間をあつかっている。いくら実証研究に立脚しているとはいえ、人間の行動について絶対の法則はあり得ない。(P.7)

と、楠木先生は書いておられます。実証研究のこれらの事例があると説得性が出てきますが、おっしゃるように法則化しようとするともっと多くの事例が必要でしょうし、言いたいことが言えなくなってきたり・・・そういう意味では、「経営の実践」に寄与するという意味では多少の実証件数が少なくても典型的な事例をもとに説明するというこういったスタイルで書かれたビジネス書のほうが経営現場には役立っているんでしょうね。

全然テーマからは離れますが、「経営学」の経営現場への寄与ということについては考えさせられました。

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