未来の社会学

未来の社会学 (河出ブックス)

(著者:若林幹夫)
★★★★☆

カバーに「さまざまな時代と社会における未来の『取り扱い方』を問い直し、未来が失われたかのような現在のリアリティを照射してみせる、社会学的冒険の書」と書かれています。結論として、私たちを閉じ込めている「現在と未来の鉄の檻」から抜け出すために、世界のこと・歴史のことを自分なりの言葉で語れるようになろう、というようなことを言いたいのだと解釈しました。いわゆるリベラルアーツを身につけようというメッセージだと感じました。

さて、『2001年宇宙の旅』について書かれているくだりがありますが、これはこの著作の大きなテーマに通じるところだと感じました。以下、引用です。

『2001年宇宙の旅』が前提としているのは、そんな歴史の地形とそこに開ける風景である。現在から未来への進歩という近代的な未来像が、同時に過去から現在への進化や進歩を前提としていること。そのような人類史の全体のなかで、現在から未来への“大きな飛躍”がリアリティをもつのだということを、この作品は示しているのだ。(P.112)

また、キャプテン・クックに話題がおよび、「未知」(空白)の「未来における既知化」を下記のように表現しています。

南方大陸が地図から消えていく時、これから探検され、知られていくべき「空白」がその社会の世界の地形のなかに現れる。それはまた、これからそれを探検し、既知のものとし、それを領有したり、植民したりする「未来」が、未だ決定されていないけれども進むべき方向は指示された空白の時間として現れるということでもあった。地図に空白が現れる時、そこにはまた未来の時間が、新たな行為が活動がそこに描きこまれる白いキャンヴァスのような時間として現れるのだ。(P.121)

これは話は少し変わりますが、仕事の目標管理のテクニックで、「予材管理」というのが、それもこの流れを汲んでいるものだと感じました。確か、人間の習性には「空白を埋めたくなる」そんなものがあるのだと・・・。その習性を利用した目標管理の手法です。

さてさて話は元に戻って、次に私たちの現実の捉え方をレヴィ=ストロースを引用して次のように位置づけます。

レヴィ=ストロースが「疑似進化論」と呼ぶこうしたパースペクティブのなかで、「西洋の旅行者たちは、東洋に《中世》を、第一次大戦前の北京に《ルイ14世の世紀》を、オーストラリアやニューギニアの原住民のなかに《石器時代》をみつけて満足」する。現在なかに「過去」を見いだし、自分たちをそれに対して「より進んだもの」とするこうした疑似歴史化された世界の風景は、私たちにとっても依然“現実的”である。(P.125)

さらにわかりやすく、次のように換言しています。

近代における現在は、それが「未知の未来」へと進む時間であることによって有意味なものとして了解される。現在の意味は、それがより進んだ未来に進んでいく中間段階であることであり、そうした現在の意味は、人類や国家や国民の歴史が過去から現在へと進歩し、発展してきたことによって支えられている。集合的な進歩主義は、集合的な歴史主義なのだ。そして、この集合的な進歩主義と歴史主義の展望の下で、世界は通時的のみならず共時的にも「進んだ国家や国民」と「遅れた国家や国民」という発展段階上の差異をもつものとして発見される。それは、歴史の時間と未来への展望が、世界が地理的な差異をもち、それが「先進/後発」や「発展途上」という時間性によって了解されるということだ。(P.127)

また「近代的な時間意識」というのが、近代化の過程で全面的に展開した、と述べています。「近代的な時間意識」というのは、「直接経験できる他者と共にある「いま・ここ」を超えた、抽象化された時間を枠組みとする世界」と定義しています。(P.131)

その他、カーゴ・カルト運動、千年王国運動など、幅広く未来を考えるうえで重要な過去が網羅された形で紹介されていました。

そして最後に、読むのを止めて、考え込んでしまった箇所があったので、それを引用しておきます。(P.85)

「歴史哲学テーゼ」として知られる文章のなかのヴェルター・ベンヤミンの次の言葉は、そんな時間の風景についてのもっともよく知られたアレゴリーの一つである。(として、下記を引用している)

「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、その天使はじっと見つめている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去のほうに向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が現れてくるところに、彼はただひとつ、破局(カタロトローフ)だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが、楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来のほうへ引き止めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。(浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクションⅠ 近代の意味』 1995年P.653)

 

 


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